『絵本』


第二話 兄妹ークリフ&ユーゴーー
 
 子供とは順応性が高いのだろう。

 無菌カプセルでの超心理学研究部門のゼナーカードを相手の心理を察知して読む実験も
 私には、ままごとの延長に過ぎなかった。

 時には全然研究員の人の思い浮かべる図形が分からなくて、ひどく怒られる事もあった
 けど、概ね私は研究員の人が期待するだけの成果を挙げていたので、正解する度に褒め
 られる事に喜びすら感じていたものだった。

 もっとも時たま受ける注射には、最後まで慣れる事はできなかったけれど・・・・・。
 



 それを初めて意識したのは、いつの事だっただろうか。

 はっきりとは思い出せないけれど私が大嫌いだった注射を受けた日だったという事は
 覚えている。

 その日も私はメアリーおばあちゃんの部屋で、今日読んでもらいたい絵本を本棚から
 引き出しておばあちゃんの帰りを待っていた。

 あぼあちゃんが帰ってきた時、私は脳裏に壊れたラジオの様な声を聞いた。
 ・・・ゴー。・・・来て・・・・・。
 「ユーゴー今日も来たのかい。ああ分かったよ、この本だね。」

 私の頭を撫でてベッドに腰掛けたおばあちゃんの横に座りながら、頭の中ではさっき
 からかすかに流れ込んで来る声と私は取っ組み合っていた。

 あたかもそこら中に散らばった破片を組み合わせ巨大なパズルをつくるように・・・。
 やがて散々に苦労して組み集めた破片は形を見せ始めた。

 小さい頃、絵の具で滅茶苦茶に描いたものが偶然なにかの絵に見えるように・・・・。

 それからは急速に声は、はっきりとしたものになって行った。

 「どうしたんだいユーゴー。今日は何かいつもと違って元気が無いよ。」
 メアリーおばあちゃんが声を掛ける。

《どうしたんだろうこの娘は。いつも元気一杯の娘なのに。体調でも悪いのだろうか。
 心配だ。》と言う脳裏の声と共に。

 「ううん。大丈夫。何でもないよおばあちゃん。」そしてちょっとドキドキしながら、
 「おばあちゃんは、ユーゴーのこと好き?」と私は尋ねた。
 



 私は上機嫌で私とクリフ兄さんの部屋に走りながら戻っていた。

 メアリーおばあちゃんの答えは、私の予想していたものだった。

 「ああ好きだよ。」《ユーゴーは私にとっては可愛い孫娘みたいな存在だよ。》という
 脳裏に響く声を添えて。

 「ねぇおばあちゃん。クリフお兄ちゃんも私の事好きかな?」
 「当たり前じゃないか。クリフはお前のこの世で唯一人のお兄さんなんだから。」

 それを聞くと私は無性に兄さんの私に対する愛情を確かめたくなった。

 「おばあちゃん、今日私もう帰るね。」
 「おや、まだ読み始めたばかりだってのにどうしたんだい。」
 「クリフお兄ちゃんに会いたくなったの。また明日来るね。じゃあね。」
 「そうかい・・・。」

 少し寂し気なおばあちゃんを置いて、私は部屋を飛び出した。

 走りながら私は考えていた。

 ちょっと不安だったけどメアリーおばあちゃんはやっぱり私の事を愛してくれていた。

 だからクリフ兄さんも私を愛しているに違いないと。




 部屋のドアーを開けると、クリフ兄さんはちょっと驚いた表情で私を迎えた。

 「今日は早かったんだねユーゴー。」
 息せき切って入ってきた私に、兄さんは左の瞼の上にバンソコウを付け、頬を腫れ上
 がらせた痛々しい顔を微笑ませた。

 「クリフお兄ちゃん、その怪我どうしたの。」
 「帰る時にまた階段で転んじゃってね・・・。お兄ちゃんドジだな。」
 幼かった私に疑問は生じなかった。

 ただ兄さんの言葉を鵜呑みにして、「本当にドジだねお兄ちゃん。」と笑って言った
 ものだった。

 そして早速意識を集中して兄さんの心を読む事にした。

 「・・・・・・・・。」
 私はひどい衝撃を受けた。

 《ユーゴーは気楽でいいよな。ユーゴーが実験でいい成績をあげるから僕がこんな目
 に遭うんだ。あいつら成果が出ないからって僕をこんな目に・・・。そして口に出す
 事と言ったら、「妹と違ってお前は何でこんなに成績が悪いんだ。」だ。ユーゴー
 さへ・・・・・・。》

 今から考えれば、あの時兄さんは酷い精神状態だっただろうし、どんな人でもいつも
 綺麗な心でいる事は出来ない事は良く分かっている。

 でもあの頃の私には、クリフ兄さんは私を愛してくれる絶対の存在だったのだ。

消灯後の部屋の闇におびえた私が寝るまで声を掛けても起きててくれたクリフ兄さん。

 珍しく手に入ったお菓子を私が自分の分を全部食べてしまうと、「しょうがないなー。」
 と言って私に自分の分を分けてくれたクリフ兄さん。

 「お兄ちゃん・・・私の・・事・・・嫌い・・なんだ・・。」
 溢れる涙を抑えようとしながら私は何とか呟いた。

 「どうしたんだいユーゴー。」《なにかユーゴーの奴、変な事を言ってるぞ。》
 その兄さんの言葉がスイッチとなった。

 私は大声をあげて泣き始めた。

 「お兄ちゃんは私なんかいない方がいいんだ。」と言いながら。

 顔が蒼白になったクリフ兄さんが、なだめようと差し出した手を私は頭を振って拒んだ。
 



 その日から私はシーツを頭から被ってベッドから動こうとしなかった。

 毎日の研究実験にも出席しなかった。

 クリフ兄さんやゴルゴンお姉ちゃん、そして研究所員がなだめても私は態度を変えよう
 とはしなかった。

 最後には研究所員に無理矢理、実験室に引っ張られて行ったけど、私は実験を拒み続け
 研究所員も最後には匙を投げた。

 食事は兄さんが食堂から持ってきて私のベッドの横に置いていった。

 夜の消灯後に私が食べる時に苦労しないようにペンライトも置いて。
 でもそんな兄さんの気遣いも無駄になる事が多かった。

 クリフ兄さんは、メアリーおばあちゃんから絵本を借りてきて時間の許す限り私に朗読
 を始めた。

 ゴルゴンお姉ちゃんもそれに続いた。

 それでも私はシーツを頭から被ったままだった。

 実際には、私の気分はもう落ち着いていた。

 兄さんの気遣いも涙がでるほど身に沁みていた。

 ただ、また裏切られるのが怖かったのだ。

 その勇気が出せなかったのだ。

 私が小さなストライキに入っておよそ2週間が経とうとしていた。

 その日もクリフ兄さんは、実験から帰ると淡々とシーツの中の私に絵本を朗読していた。

 私は意を決して意識を集中した。

 《神様お願いです。もう一度妹と仲直りさせて下さい。もう妹に八つ当たりする事など
 考えませんから。お願いです。このままでは妹は処分されてしまいます。だからもう一度
 妹と・・・・》

 クリフ兄さんの声が脳裏に響く。

 私はほっとした。

 そしてもう一つ勇気を振り絞る事にした。

 「クリフお兄ちゃん。」
 弾かれたようにクリフ兄さんがシーツから顔を覗かせた私を見つめた。

 「メアリーおばあちゃんだったら、そこはもっと明るい感じで読むんだよ。」
 「そうかいユーゴー。分かったじゃあそうするよ。」
 顔を喜びで輝かせた兄さんが朗読を続けようとした時・・・・。

 グーーーーーーー!
 私のお腹が音をたてた。

 次の瞬間、私達は大声で笑い始めた。

 今までのわだかまりを振り払う様にずっとずっと笑い続けた。

 「クリフお兄ちゃん。私お腹減った。」
 笑い涙をぬぐいながら私は言った。

 「よし。じゃあ一緒に食堂に行こう。」
 クリフ兄さんが私に手を差し伸べた。

 私はその手を掴んだ。

 その日以来、私達兄妹はクリフ兄さんが死ぬまでその手を離さなかった。
 
                           −to be continued−

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