−天使の涙−
(前編)



「あなたはこんな所で止まってはいけない…まだ助けなければいけない人が大勢いるはずよ…」

「あなたがこんな所にいたら、今までに死んでしまった人の立場はどうなってしまうの!?過去を悔いるぐらいなら、その分だけ戦いなさい」

「カ…カツミ…!?」

「それがあなたに与えられた宿命…だから戻るのよ、みんなのために!!」

「………ああ…・そうだなカツミ…」

「戻るよ!!みんなの所に!!」

「本当に為すべき事のために!!」



………

…高槻くんは無事にここから帰っていった…

今はここには私しかいない

この深い闇の世界には私一人しか…

「…やっぱり私に入る余地はないみたいですね…カツミさんがこんなに強くあなたの中に住んでいる…」

「…でも悲しくはない…こんなふうに誰かを好きになれるなんて、昔の私にはなかったもの…・」




そう、昔の私には……




…あの時を除いて…






−4年前−


「うーんとね、それは…マル!」

少女が机の前におかれている一枚の真っ白な紙を見つめながらつぶやく

少女の反対側に座っている男がその紙をめくると、確かにそこには大きく円が描かれていた

「すごいなユーゴー…じゃあ今度のはどうだい?」

男は再びユーゴーの前に一枚の白い紙を置く

ユーゴーは静かにその紙を見つめ続ける

この時ユーゴーにはその実験が当たり前のようになっており何の疑問も感じていなかった

「う〜んと…それは…ズルイ!! 何も描いてないよ」

その言葉で目の前にいる白衣を着た若い青年は驚きの顔とともに紙をめくると、確かにそこには何も描かれてはいなかった

「本当にすごいなユーゴーは…どうして分かるんだい?」


青年の名はフランツ・ヨアハルト

この施設に最近赴任しユーゴーの担当を任された若き研究員だった

彼は旧ソ連時代は10代ながら博士号を取得した天才児であり、将来をその国では約束された身であり、彼の未来は明るかった

が、彼の未来に闇が落ちる

…ソ連の崩壊である

崩壊による混乱の余波は当時まだ14歳であったフランツには困難を極め、研究どころではなくその日一日を暮らすことさえ難しかった



ここはエグリゴリが管理する心理学研究所の一つ、通称”キンダーガーデン(幼稚園)”と呼ばれる施設

そこには様様な子供達が集められて日々実験を繰り返していた

だがそこでの子供達は人権など持たない”物”、つまり実験動物(モルモット)として扱われていた

そこでユーゴーはあらゆる人間の思考を読み取り送りこむことのできるテレパシー能力を覚醒させた

そしてユーゴーには”天使(エンジェル)”の称号が与えられた


「う〜んとね、フランツが最初確認してからカードを伏せるでしょ…だからその思考が私の頭の中に入ってくるの」

クスッと笑いながらユーゴーは舌を出しながら明るく答える

「そうかい、じゃあ今度はどうかな?」

フランツはトリックが分かると今度はカードの山から一枚無造作に抜き取るとそれを確認せずに机に伏せる

するとユーゴーは困惑の顔色を浮かべ、

「わかんないよ…」

怯えたような表情になってユーゴーは応える

さっきまでとのギャップがおかしかったのか、フランツはプッと吹き出し

「あ〜もうフランツのいじわる〜」

ユーゴーはふてくされて顔を膨らます

「アハハハ、ごめんごめん…ユーゴーの困った顔なんかここに来て初めて見たからね」

フランツは声を立てて笑うが、その笑いにユーゴーは違和感を感じ

「ねぇ、フランツ…あなたが笑ってる時ってなにか壁が見えるんだけどそれは何なの?」

その言葉にさっきまで笑っていたフランツの身体がビクンと震え、一瞬怖い表情でユーゴーを見やる。

その表情にユーゴーは一瞬ビクッと震えるが、

「ハハハハ、ユーゴーは面白いことを言うね。でも壁か…確かに人間誰しも心の中には壁があるんだよ」

再び穏やかな表情になって優しく語り掛ける

「壁…が?」

「そう壁だ。この壁は誰しも他人には知られたくない、それがたとえ家族や恋人であろうと本人にとっては知られたくはないことなんだ」

「フランツにもあるの?」

「もちろんさ。いや僕だけじゃなく、君の兄さんにだってあるはずだよ」

「クリフ兄さんにも?じゃあ私にもその壁はあるの?」

「うん。今はないかもしれないけれど君にだってこれからその壁はできてくるんだ」

「つまりはそれが生きていくってことなのさ」

「フ〜〜〜ン」

「ハハハハ、ユーゴーにはまだ難しかったかな?」

そう言うとフランツは席を立ち上がり、

「さぁ、今日はここまでにしようか」

「え〜、今日はもう終わりなの?」

「ハハ、僕にだって他にもいろいろやらなきゃならないことがあるんだよ。それはユーゴーだってわかってるだろ?」

「うん…そうだ、フランツ!!」

「なんだい?」

「兄さんには、クリフ兄さんにはいつ会えるの?」


クリフと会うこと、たった一人の家族に会うことがフランツと過ごす以外にユーゴーにとってはここでの生活の生への活力、源となっていた


その質問にフランツは眉をピクリと動かすが、すぐに笑顔で

「もうすぐだよ」

「その答えは前にも聞いたよ。兄さんに会ったのはもう3週間も前だったの…早く兄さんに会わせて」

「分かったよ、じゃあ所長に早く会えるように言っといてあげるよ」

「うん、ありがとうフランツ!……フランツって優しいから好き」

屈託のない笑顔でユーゴーは言い放つ


”好き”、この感情をこの時ユーゴーは生まれて初めて知った。いわばこれがユーゴーの初恋であった


「光栄だね、僕もユーゴーは好きだよ」

そう言うと笑顔のユーゴーに背を向けその部屋を後にする

が、その時のフランツの表情、そこには冷たい瞳があった






「……以上が今日のユーゴーの研究結果です」

「ご苦労…しかし君も様々な表情を使い分けるね。さすがは心理学のエキスパートだ」

「ハハハ、笑いというものは人を安心させる作用を持っているんです。それが子供であればなおさらね」

ソファに腰掛けながらワインを片手に語る

「さすがはエグリゴリの上層部が引き抜いてきただけのことはある」

「ええ、私も彼等には感謝していますよ。故国の崩壊で研究どころではなくなった私にこのようなチャンスを与えてくださったんですからね」

「まったくだな」

「それにこのプロジェクト”レッド・キャップス”…これの目的も私には興味がありますからね」

「フッ、まったく研究心旺盛だね君は」

「それが学術の徒というべき研究者ですよ……さいわいここには多種多様なモルモットがいますからね」

「ハハハハ、モルモットか…確かにな。彼等には人権というものを最初から剥奪しているエグリゴリのモルモットだからな」


二人の間の会話には人間らしさは感じられず、乾いた雰囲気が漂っていた


「ところでユーゴーの兄、クリフの方の実験はどうなっているんです?」

この質問に入ると目の前の男は首を横に振り

「駄目だ。まだ何の結果も得られていない…やはり兄の方は何の能力も現していない」

「ハハ、では担当者達は苦悩しているでしょうね」

「うむ、彼等の査定は最近は下がっている一方だよ」

「どうでしょう、妹のユーゴーとここらで引き合わせてみては?」

「それはどういう意図かね?」

「ハイ、兄の方にはもはや能力の覚醒は望めません。よって妹の能力の更なる飛躍を望んで精神安定も含めて会わせるのです」

「君では妹の精神安定にはなっていないのかね?」

男はモニターで見ていたためその時の状況を知っている

男の言うところの意図も分かっているためフランツは微笑を浮かべ

「フッ、彼女の気持ちはわかりますが、彼女の精神的な支えはどうやら私ではなく兄の方が大きいようですからね」

「そうか……では早速明日にでも引き合わせてみよう。もしかしたら兄の方にも良い影響が出るかもしれんからな」

「ありがとうございます」

二人は実験の前祝といわんばかりに互いのグラスを差し出しそれを一気に飲み干した




-3日後-

「……相変わらず僕が見てからのだと敵中率は100%だね」

フランツは笑顔でユーゴーに語りかける

その笑顔が偽りだとは知らないユーゴーには嬉しく感ぜられ笑顔を浮かべる

「ありがとうフランツ。やっぱりこの間兄さんに会えたのが私には嬉しかったみたい」


2日前兄のクリフと会えた時ユーゴーはただ兄に抱きつき涙した

兄のクリフはこの時優しくユーゴーを抱き寄せながら微笑していた


「ハハハ、そう言われると引き合わせた甲斐があったっていうものだよ」

フランツは相分からず笑顔という仮面をかぶっている

「でもなんであの時の兄さん顔に痣(アザ)が合ったのかしら?」


クリフの顔にはこの時殴れたような痣があったことをユーゴーは思い出す

ユーゴーは不思議に思って尋ねたが、この時のクリフはただ微笑するだけだった


「ああ、あの痣はね…クリフが転んだ時そこをぶつけてしまったらしいんだ」

フランツはユーゴーの疑問に笑顔で応えるが、それはもちろん嘘であった


クリフの痣はなかなか能力が覚醒せず、担当した研究員が苛立ちから殴りつけた後だった

これを後で聞いたフランツはこの研究員を半ば哀れみながらも、その研究員の運のなさをあざ笑っていた

自分はユーゴーという最高の素材を与えられたが、その研究員には一向に能力を開花させない素材を与えられた

与えられたものでこうも人間の心が変わり、歪むという結果にフランツはそれが愉快で楽しかった


「なにがそんなにおかしいのフランツ?」

表層意識に邪な心を感じ取ったユーゴー、だがそれが何故なのかがわからないためにユーゴーは素直にそれを疑問として口に出す

「え、どういうことだい?」

「だってフランツ…表情と思っていることが…なんか違うみたいなんだもん」

フランツは内心ギクッとしたが、そのへんはさすがに心理学者というところか、それを表情には出さずに

「いや、君のお兄さんもあれでおっちょこちょいだと思うとね」

その言葉にユーゴーもプッと吹き出すと

「もうフランツったら、兄さんの悪口は言わないでよ」

「ユーゴーだって笑っているじゃないか」

「ホントだ…でも兄さんには内緒にしてね」

同時に二人は笑っていた


だがこの空間には異質な光景であった

一人は心の奥底から、もう一人は演技で…そういった笑いの空間があったのである


だが、この時笑っていたユーゴーに異変が生じた

「ハハハハ……・!?どうしたんだいユーゴー?」

さっきまで笑っていたユーゴーが急に頭を抱えてうずくまり出したのである

「わ、わからない…でもなんか急に気分が悪くなったの…」

ユーゴーは次にはガタガタと震えだし、額には汗が滲み出し始めた

そして両腕を自分の身体にまわして、自分で自分を抱きしめる姿勢を取る

フランツには目の前で起こっている事態にいったいどうしたことかと多少動揺する

その時部屋に設置されているインターフォンが鳴り出す

フランツはその音で我に返り、すぐに受話器を取って応対する

「もしもし、丁度いい今部屋でエンジェル(ユーゴー)が…」

フランツは自分の用件を言おうとしたが相手の言動でそれはすぐに打ち消された

「……なんだって!!それは本当か!?…わかったすぐに行く!!」

受話器を切るとフランツはユーゴーのもとに駆け寄り、

「すまんが用事ができた。すぐに医療班を寄越すからここでジッとしてるんだぞ」

だがそのフランツの言葉は耳に入っていないのか、ユーゴーはガタガタと震えていた

「……」

その情景にフランツは仮面を脱ぎ捨て内心舌打ちながらその部屋を後にする




「!?」

フランツが部屋を出てしばらくしてユーゴーの頭の中に誰かの意識が突然流れ込んできた

「(誰?誰なの…私の頭の中に入ってくるのは誰?)」

ユーゴーは助けを求めようと周りを見渡すがそこには誰もいない

「……フランツ…助けてフランツ…」

ユーゴーはおぼつかない足取りでヨロヨロと歩き出し、部屋のノブを回すと鍵は開いておりすんなりとそこを抜け出して行った





所長室のモニターの前でフランツは驚愕していた

そのモニターに映された光景、それは部屋の壁のいたるところに血が付着しており、机は真っ二つに割れていた

他には研究員と思われる死体が無残にも横たわっている

「すばらしい…」

だがこれを見たときのフランツの第一声はその一言だった

「ええ、どうやら兄の方も能力が覚醒したようです」

しかしこのフランツの声に周りの白衣を着た男達は非難の声をあげるどころか、フランツと同じく賞賛と同意の声をあげた

「これはサイコキシス(念動力)か…だがこんな力は今までに見たこともないぞ」

「おそらくなにかのきっかけで潜在されていた能力が開花されたと思われます」

「ああ、これはもはや人間の所業ではない…悪魔の力だよ」

フランツは身震いするほどの喚起の声をあげた

「奴(クリフ)は今どこに?」

「部屋にはいません…おそらく部屋を出てどこかに」

「捜せ!すぐに衛兵を出して奴…そうだな奴のコードーネームは”悪魔(セイタン)”だ!!すぐに奴を拘束するように言え」

その指示を聞いた男はすぐに受話器を取ってそのことを、衛兵達に告げる

「すばらしい…ここはまさにすばらしいモルモット達がいる!!もはやエンジェルなんかにかまっている場合じゃない!!私はこのセイタンというモルモットをもっと調べたい!」

フランツの瞳は輝き、これからの実験で何を行おうかという思案を巡らしていた

「ハハハハ僕は幸運だ!ここでこんなにすばらしいモルモット達に会えるなんて!」

両手を掲げてまさに歓喜の表情、他人から見ればまさに異常ともいえる表情で叫んだ


だが、その時このモニター室の背後でガタッという物音がした。白衣の男達、フランツも含め全員が一斉にそちらを見やる

そこには呆然とたたずんだ少女、ユーゴーがいた

フランツはどうしてここにユーゴーが!?といった表情で見やるが、すぐに微笑みと言う仮面をかぶりユーゴーに向かって一歩踏み出す

だがユーゴーの表情に笑顔は見られずビクッと震えた。その様子を見てフランツは笑顔を絶やさずに語りかける

「どうしたんだいユーゴー…それにどうしてここへ」

真っ直ぐユーゴーのもとに近寄るが、

「来ないで!」

今までにないくらいユーゴーは力強く叫ぶ。その言葉に思わずフランツは歩みを止めてしまう

「…来ないでフランツ…私には今あなたが、いえあなた達が考えていることがわかるの…私の中に入ってくるのよ!」




             .......................to be continued

後書き

……い、一話で完結できなかった…・っていうか1月後半に構想練って2月頭には執筆開始してたのに何でこんなに遅くなったんだろ(汗)

まぁこれはコミックス9巻で涼とアザゼルがシンクロし、ジャバオックのプログラムが全て開放される瞬間ユーゴーが涼の精神世界に入って暴走を止めるというシーン、さらにその後ユーゴーの回想シーンという設定で描かれています。
フランツは一応ロシア(旧ソ連)の人間という設定にしてありますが、フランツなんていう名前はあわねーよな…ドイツ人かなんかとのハーフだと認識していただければ助かります!
それでは後編(中編かも)に向かってスイッチ・オン!

それではなつめ ゆかさんHappy Birthday♪

2000.0604 パラ・グリーン


Novel