Take.25
「ふ〜、疲れた〜…… 今日の客、S(エス)入ってんだもんなー」
「お疲れ様」
俺はそう呟きながら事務所のソファに座り込むと後ろから声とともに頬に冷たいものが当たる
「あ、真純さ…… じゃなくて社長」
「よしよし。ここじゃあ私はあなたの上司、ちゃんとそう呼んでもらわないとね♪」
「ええ、それはもう……」
「よろしい。じゃあ……はい、これ」
「どうも………って、これビールじゃないですか!」
真純さんから手渡されたものは正真正銘の缶ビール。もちろんノンアルコールなどではない
「あら? 佑作君って下戸だったっけ?」
「そうじゃないですけど…… でもいいんですか?」
「いいんじゃないの? 龍ちゃんなんか今じゃあワインだって飲むんだから」
「た…確かに……」
龍ちゃん……天文寺龍。 俺の級友にしてこのバイトの先輩。そして目の前の社長の実の弟だ
外見と性格は似ても似つかない姉弟に見えたけどここでバイトするうちになんかしぐさや落ち着き払った雰囲気なんかは似ているなと感じることがある
(だからって酒を勧めるか、普通?)
俺はなんかドッと疲労感に襲われてくる
だが……天文寺といえば、今日はまだ見ていない。もちろん学校には来ていたのだから風邪とか体調を崩したとかの理由じゃないだろうけど……
「社長! 天文寺は……今日は?」
「ああ……龍ちゃんは、ちょっと……ね」
真純さんはその質問にちょっと思い出すような素振りを見せながら呟く
その視線が意味ありげだったのが気にかかるが俺は深くは聞かないようにした。それはもちろんその視線と言葉の意味するところ、そしてなにより今どこにいるのかという好奇心は湧いてくる
だけど根掘り葉掘り聞こうなどとは思わない。 このバイトを始めて改めてわかったことだけど、人には誰しも他人には隠していることがある。そして隠すからには他人には話したくないのだと。
現に俺の客のほとんどは自分の素性は語らずにただ一緒にいてくれる相手だけを求めている。 たとえそれが性交であったとしてもだ
だからして俺からすれば完璧に近く見える天文寺にもああ見えて人間だ。秘密の一つや二つあっても不思議じゃない……
そう、不思議じゃない…………
だけど俺はそう考えるとなんか疎外感を味わっているようでなんとなく不満でもあった
(だけど天文寺のやつ、本当にどこにいったんだ?)
ここでバイトを始めてわかったことだが、天文寺は毎週バイトの日でもふらりといなくなることがある
俺はてっきり仕事に行ってるのだと思って後で「今日はどうだった?」と聞くと、必ずきまりが悪そうな表情の後に「今日の客は疲れる人だった」とだけ答えた
最初のうちはそうなんだろうと思ったけど、何度もその答えを聞くうちに俺はある違和感を覚えた
天文寺がそういうときは大抵不敵な笑みを浮かべながら言い放つのだが、、そのときは決まりが悪そうに言っている
本当にそんな客がいるのかもと俺は疑問にも思うが、天文寺は仕事の不満をもらすようなやつじゃないということはこの2ヶ月ですでにわかってる
ここには俺も含め延べ7人のバイトがおり、天文寺はその中でもここじゃあ1番人気らしい
俺も天文寺も相手にはもちろん高校生だなどとは告げずに、大学生と名乗っている
相手も偽っている場合が多いためか余計な詮索はしてこない。 だからこ俺はこのバイトに魅力も感じているのだ
そして俺はまだまだバイトを始めたばかりで新規の客の相手を務めてばかりだけど、天文寺はここの常連の相手を数多く務めている
まぁ毎週ふらりといなくなるのはとりあえず天文寺の7不思議の一つって事だろうな、などと勝手に推測する
そんなことを考えていると、時計の針はすでに22時前に差し掛かっている。このまま何事もなければ今日はここまでということになるのだが………
そんなことが甘いっていうのは次の瞬間事務所に鳴り響いた電話のベルによって思い知らされた
「はい、こちら人材派遣のM&Rでございま―………って、なんだ由佳か。 あんたいっつも突然なのよね〜」
俺は別に盗み聞きをする気はないんだけど真純さんの声が大きいもんだからこっちにまで筒抜けだ。これが初めてじゃないからこっちとしてもたまったもんじゃないんだけど、まぁ社長の色恋話が聞こえてくるよりはマシだろうなと一人納得する
だが今日のは話からすると相手は結構真純さんと親しい間柄のようだ。
だけど…………
なんだか俺は一瞬背筋に言いようのない悪寒が走っていた。なぜなのかはわからない、恐らく人が持っている予知能力だろうと俺は密かに思い込む
「今日? これから!? ちょっと、由佳……そう言ったって相手は…………」
俺は悪寒の正体がなんとなくわかったような気がしてきた
「んじゃ、これからそこに送るから。 うん、そう………そうよ!まだ新人君なんだからいじめてやめさせたりしないでよ。………うん、じゃーね。毎度どうも♪」
電話の切れる音とともに俺はスクッと立ち上がり玄関に向かおうとする
だが………いつのまにいたのか、すでに首根っこを掴んで微笑んでいる真澄さんが鏡に映っていた
「佑作く〜ん。 まだ帰る時間じゃないわよ。でしょ?」
「で、でも社長……俺、これから帰って明日の英語の宿題が〜………」
「そんなもん龍ちゃんのを写しちゃえばいいじゃないの。 それよりも、仕事よ、し・ご・と!」
「で…でもなんかその仕事って嫌〜な予感がするんですけど〜………」
「気のせいよ♪」
そう言われたとき、俺は素直に真純さんの言葉を信じたかったのだが何故かできなかった
2004年4月17日
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