Take.27




空はすでに薄暗く、街灯が2,3回の明滅の後に煌々と輝きだしあたりは再び明るくなる

だが………

俺の足取りはその輝きとは裏腹に重くなるように感じられた

だがそんなことをこの3年間でもう何度体験したことだろう。いい加減にこの感覚にも慣れてしまい、またそれに慣れてしまった自分に多少なりとも嫌悪してしまう

俺が足を踏み入れた建物の中はすでに薄暗く、あたりを行き交う人もいない

だが俺はそんなことは気にせずにまっすぐに目的地へと続く廊下へ足を向ける

すると向こうからカツカツと人のいない廊下に響き渡るような足音でやってくる女性がいる

この先から来るということは………

だが俺は別段気にも止めずにこの女性とすれ違おうとした


「………ちょっとアナタ! もう面会時間は終わって………―」


俺がこんな時間にこんなところを歩いていたのを不審に思い声をかける

だが俺のことを知らないということはこの人はまだここに入って間もないのだろう


「あ、いえ……俺はいいんです」

「ちょっと…なに言ってるのよ! いいわけないでしょ、規則は守ってもらわないと!」

「…………」


説明すればわかることなのだが、このときの俺にはそんな余裕もなくそんなことを考えるだけで億劫に気分にさせられた

俺は後手に頭を掻きながらどうしたものかと思案に暮れる

だがそんな俺の様子がこの女性の気にでも障ったのだろう。彼女は高い靴音を響かせながら俺に近づいてくる


「さっ、出るわよ! 面会なら明日の朝9時からどうぞ!」

「あ、いや……それじゃあ―」

「つべこべ言わないでサッサと―」


彼女がそこまで言いかけた途端、彼女は突然その先を言うのを留める

俺は何事だろうと思ったとき、背後に人の気配を感じた


「君……彼はいいんだ」

「げ……外科部長……で、でももう面会時間は……」

「彼は404号室の患者への面会希望者だ」

「404号室………って、藪河(ヤブカワ)さんの!」

「そうだ。だから彼は通してやってくれ」

「は、はい……失礼しました」


彼女は深々と外科部長と呼ばれた人物に頭を下げる

だがその外科部長は彼女をしばらく見つめた後、その視線を俺に移す


「それは私によりもこちらの彼にするのが先だろう」

「あ……し、失礼しました。 404号室の患者には月に数回面会時間以降やってくる人がいるって聞いてたけど、まさかあなただったなんて思わなかったから………」


俺はどこかその言い方に納得がいかなかったが、ここで何か言って後々もめるのも何かと不都合だと思ったので言葉に出しはしなかった


「さ、君はもう帰りたまえ」

「は、はい……それではお先に失礼します」


俺と外科部長は彼女が足早に去っていくのを見届けてから並んで歩き出す


「………助かりました」


俺は素直に頭を下げて礼を述べる


「いや……悪かったね。彼女はまだここに来てから日が浅くて……悪い子じゃないんだ、気を悪くしないでくれ」

「いえ。俺もちゃんと説明しなかったのが悪いんだし………」

「ハハ。説明する気分にはなれなかったんだろう?」

「………」


俺はその問いには沈黙で応えた


「彼女が……藪河真奈美さんが今の状態になってからすでに4年か………君も根気よく通いつめてるね」

「いえ。俺は……最初の1年は怖くて来れませんでしたから」

「しかしそれでも君は毎月通ってるじゃないか。しかもわざわざ面会時間を過ぎてから………」

「彼女の……真奈美の家族には俺は会わないほうがいいですからね。先生にはこうして許可をいただいて感謝していますよ」

「ははは。まぁこれも私が外科部長なんて分不相応な立場にいるせいだけどね」


そんなことを話しているうちに俺たちは404号室の前にたどりつく。病室のプレートには「藪河明日香」と一人の名前しか記されていない

今日の俺は何故かこの扉を開くことさえ怖かった。今までにもその怖さは感じていたのに、なぜ今日再び?という思いが頭を駆け巡る

隣に立っている外科部長も俺のそんな心情が察せられるのだろう。その証拠になにも語らないし、なにもしようとはしない

俺は意を決して病室の扉を開く。すると目の前には殺風景な風景と、ベッドの脇に備えられたいくつかの医療機器がただ無機質に動いていた

そしてその機械の前のベッドには………


(もうこの光景にも慣れたのに……慣れたはずなのに………)


そのベッドには一人に女性が静かに眠っている。その寝顔は穏やかでまるで今にも目を開いて「おはよう」と言ってくれそうだ


「………今日もまだ夢を見ているんですかね?」

「ああ……今日も身体のほうにも脳にもなんの異常も見られない。科学的に言えばいつ目が覚めてもおかしくない状態だ」

「………それでも真奈美はもう4年も眠ったままなんですね……」

「…………それに対しては私は君の期待に応えてやれなくて済まないと思う。だが弁解に聞こえるかもしれないが、私は今でも全力を持って彼女が目を覚ますよう努力している」

「……それはわかってますよ。きっと真奈美は今夢の中の世界のほうが幸せなんでしょうね……現実に戻れば、またあの家に戻らなきゃならなくなる」


俺は彼女の手をソッと握り締める。その手は弱々しく、今にも折れてしまいそうなほどだった

俺は泣きたくなるのを必死に堪える。今ここで泣いたら真奈美は決して戻ってきてはくれないと思ったからだ


「私は席を外すよ。君は気の済むまでここにいればいい………」


声の後、後ろで扉の閉まる音が聞こえ、俺はその頭を真奈美の布団越しから胸の上に乗せる


「真奈美……真奈美。 早く起きてくれよ……4年も寝ればもう十分だろ? それともそんなに夢の中のほうがいいのかよ…… 起きて……起きてもう一度『天文寺龍なんて変な名前』って言ってくれよ」


俺は言いながら必死で涙を堪えているのがわかった。 そして……何故今日に限ってこんなに気持ちが落ち着かないのだろうと……





(つづく)

2004年5月7日


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