-鬼宿 弐-
第三幕
その男子生徒は飄々と服についた埃を払い鼻歌を口ずさむ
そしてその動作一つ一つを険しい眼で睨み付ける女生徒がいる
北宮摩奈瀬(きたみや まなせ)。本日転校してきたばかりの一生徒であるがその正体は、コードネーム“クリムゾン”を名乗る日本の特殊機関JCIAのシークレット・エージェントである
そして摩奈瀬の向かいに立つ男子生徒の名は実朝峻(さねとも たかし)。彼もまたその若さながらJCIAのエージェントであり、摩奈瀬の正体を知る一人でもある
そして摩奈瀬の任務鬼宿抹殺のため上司沖村よりサポートとして任務を与えられていた
「……そないに見つめといてんか? 美人に見つめられたらワイめっちゃ照れるねん♪」
男子生徒はケラケラと笑顔で語りかけるが、女子生徒のほうはその言葉に反応するでもなく依然その眼つきを緩めない
そのためさすがに男子生徒のほうもバツが悪く思ったのか頬を指先で掻く
そしてこの沈黙が峻には耐えられなかったのか、峻の方から口を開く
「あ、改めて紹介させてもらうで。オレの名前は実朝峻。 沖村はんから聞いた思うけどこう見えてもワイもこれでもれっきとしたJCIAの一員や」
「……なかなか優秀だって聞いたけど?」
「優秀? 俺が!? はははは、それは多分沖村はんの褒め言葉やろ? 俺は見てのとおりの男やで」
摩奈瀬の問いかけに峻は茶化したように返事する
だが摩奈瀬は先ほど対峙したときの峻の動きから沖村の言葉を認めたくはないが嘘だとは思えなかった
短期間とはいえ摩奈瀬はこと戦闘に関しては常人以上の訓練を積み、その格闘能力はすでに他を凌駕するに至っていた
それを峻はなんとか捌いていたのである。それゆえ摩奈瀬は峻がただの高校生などではなく常人以上の訓練をつんだJCIAのエージェントであるということは納得ができた
もっとも峻のそのキャラクターはエージェントとしての技能とは別に摩奈瀬には受け入れがたいものだった
JCIA時代には観なかった峻のキャラクターは摩奈瀬には明らかに異質なものだったのである
「なぁなぁ、黙っといてんとなにか突っ込んでや! 『ええー、その若さで秘密工作員!?』とか好奇心に彩られた態度とかいろいろあるやろう?」
「で……あなたが私の前に現われた理由は何? わざわざ私の前に転入してきて………」
峻の言葉には耳を貸さず、あくまで自分の態度を押し通そうと摩奈瀬は言い放つ
だがそんな受け答えにも峻は動ぜず、再びその顔に笑みを浮かべると、
「赤い糸…って理由じゃ駄目なんか?」
「…………」
「じょ、冗談や!冗談やさかいそう怖い顔で睨まんといてくれんか。 それにそんな怒ってばっかの顔やとせっかくの美人が台無しやで」
「別に……この顔は造られたものだもの………。 私は美人だなんて思ってはいないわ」
「う〜ん……話にはきいとったけど……ほんまに冷めたお人やな」
「この性格は生まれつきよ」
「…………」
さすがにこれには峻も言葉に詰まってしまったのかなにも言えずに押し黙ってしまう
だが摩奈瀬もそんな峻の様子を気にかけるでもなく口を開く
「私はあなたのおふざけ話に付き合ってる暇はないの。早く用件を言ってくれない?」
「まぁまぁ。これから長いこと俺とコンビ組むんやで」
「コンビ………?」
思いがけない言葉に摩奈瀬はそれまでとは打って変わって思わず驚きの表情を作り出す
「そや。 沖村はんから聞いてないんか?」
その言葉に摩奈瀬には確かに思い当たる節があった
退院後の報告にあがった際に直属の上司である沖村からパートナーを一人つけると言われていたのだ
だが摩奈瀬はまさかコンビを組むべき相手が目の前にいる同年代、しかも高校生だなどとは夢にも思っていなかった
せいぜいすでに多くの経験を積んだ、ぶっきらぼうな年配なエージェントを想像していたのである
自分の想像とはまさに180度違う男を目の前にすると内心その驚きは隠せずにいる
「その表情から察するに……沖村はんはワイのことをなにも言っておらんかったようやな」
「………」
「でもな…実を言うと沖村はんから今度の任務を聞いたとき、ほんまにあんたが鬼宿の一人目を倒したんか半信半疑やったんやで。 あんたがそこまでの実力の持ち主だったのか、それとも鬼宿やらいうのがたいしたことなかったのか、ってな」
「それであんな挑発で、私を試したってわけ?」
「そや。あ、もちろん言うとくけど沖村はんにもこのことは了承済みやで」
「……でしょうね」
摩奈瀬は納得がいかないが、止めを刺そうとしたあの瞬間に沖村が電話をかけてきたタイミングが峻の言葉を肯定していた
摩奈瀬は峻にその力量を試されたということ、そしてそれを了承していた沖村に対して内心怒りにも似た感情をおぼえる
だが、もし立場が逆であったなら。摩奈瀬が峻のサポートに着けと命令されたのなら峻のその力量を試したいという衝動に駆られたかもしれない
だからこそ、そのもどかしさが摩奈瀬のその感情の矛先を峻に向けることができないでいる
「納得してくれたかい、摩奈瀬さん」
「………」
「だからそないな怖い顔で睨まんといてくれんか? こうしてこれからは鬼宿やらいう連中を叩き潰すためにコンビを組むんやさかい」
摩奈瀬は峻にそういわれるとそこまで怖い表情で睨んでいるのかと自分自身疑問に思った
確かにさっきはまだ素性もわからない相手であっただけに警戒を解くわけにはいかなかったが、今は……たとえ納得がいかないとしても同じJCAIの同僚なのである
別段馴れ合うつもりはないとしても、憎悪するような対象ではないと自身納得している
いや、同僚なだけに下手な波風をたてるのも馬鹿馬鹿しいとさえ思う
クリムゾンというコードネームを与えられてからは信頼できる相手は直属の上司の沖村ただ一人なのだと摩奈瀬はそう信じている
そしてその沖村が目の前のこの男とコンビを組めと指示したのなら疑問を抱きこそすれ、拒否する理由は今はない
「……コンビを組むことは命令だから従うけど……だけど、あなたと馴れ合うつもりは悪いけど私にはないの」
「まぁ、気持ちはわかるで。いうたけど、俺も最初はそう思ったさかいな」
「私も言ったとおり馴れ合う必要はないわ。 あなたは私の必要な情報を提供さえしてくれればいいのよ」
「そや言うたかて、連中は案外手強いんやろ? 資料で読んだけど、あんた一人目倒すのに結構な大怪我してたみたいやからな」
その言葉にはまるで『お前一人じゃ荷が重い』とでも言われているような気がして摩奈瀬は納得がいかない
確かに最初の鬼宿01(杏)を倒したときは満身創痍の状態で、その後も暫くの治療生活を余儀なくされた
だが逆に自分ひとりで倒せたという自負もある。 なによりも訓練時代の後期にはすでに自分にかなう相手など周りにはいなかった
うぬぼれこそしないが、自分にしか連中を倒すことはできないと信じている。 実力、そしてその動機においてさえも……
なによりも目的は連中の存在を世間に知られることなく隠密裏に葬ることである。表立って葬るつもりなら警察や自衛隊を大いに用いて物量面での殲滅に乗り出すだろう
だが隠密裏にとなれば、そういった任務も含まれているJCIAへと自然に回ってくる
「………また、怪我をするといいたいの?」
「そうやない! あんたの実力はさっきの立ち合いでわかったわ。 危うく死に掛けたんやからな」
「………電話を無視してそのまま振り下ろせばよかったと今は思ってるわ」
「……なんか、それ……冗談に聞こえんで」
「当然でしょ。あなたは私を試すためとはいえ鬼宿の名を臭わせたんだから……」
「そこや! そこがわからへん」
「………」
「あんた、ワイが鬼宿やろと思たときの殺気いうたら尋常やなかったで。 あんた、一体連中とどういう関係やねん?」
「それも資料で読んだんじゃないの………」
「いや、あんさんのプロフィール……過去が抹消されててな。まぁこういう商売やからそんなのは珍しくもないんやけど、この鬼宿に関してはあんさんに一任されてるいうのが解せんのや」
「簡単よ。私は奴等を殺すために生きている…それだけだから」
「なんやねん、それ? だからそこがワイは知りたいんや」
「それも知る必要はないわ……それこそ一エージェントであるあなたには」
「コンビを組むんだから知りたい……いうんじゃ駄目か?」
「駄目ね。」
「じゃあワイも連中の情報を伝えるわけにはいかんな〜」
「!!」
「なに驚いた顔しとんねん。ワイはもうあんさんよりも先にこの学校に転入してきとんのやで、とっくにその辺の情報は収集済みや」
「どこ……」
「まぁ苦労はしたけど……この実朝峻様にかかればこんな情報収集ぐらいは朝飯前やったな〜」
「連中は……どこだっ!」
「どわわわっ! そ、そない急に迫るなって―」
おどける峻に対し摩奈瀬はその襟首を掴んで迫る。 その突然のことに驚いた峻はそこに再び殺気に満ちた目をしている摩奈瀬を見る
「は、放さんカかい! これじゃあ言いたくても喋ることもできんわ」
その言葉にようやく我に返った摩奈瀬は襟元を掴んでいた手の力を緩め峻を解放する
峻は解放されたことに安堵するかのように自分の首を優しく撫でる。まるで首と胴が繋がっていることを喜んでいるかのようにも摩奈瀬には見えた
そして同時に摩奈瀬はいかに鬼宿と聞いて我を忘れたとはいえ、この峻の前でそのような愚行に及んでしまったことを内心悔やんでいた
「ったく、なんちゅう力や……ほんま、ワイと同い年の女のとは思えんで………」
「す…すまない……」
「………はっ?」
摩奈瀬の口にした言葉が一瞬信じられなかったのか、峻はただそうつぶやくしかできなかった
峻の耳には確かに摩奈瀬の口から謝罪の言葉が聞こえた。だが会って1時間も経ってないとはいえこの女が面と向かって謝罪の言葉を口にできるとは正直思えなかった
だから先ほど襟首を掴まれた拍子にどこか頭でも気付かないうちに打ち、幻聴が聞こえているのではないかと錯覚する
だがそれが幻聴でない証拠に、これまた信じられないことだが峻とは罰が悪いのか視線を合わせようともせずにいる摩奈瀬が視界に映る
そうとわかったら峻には目の前にいる摩奈瀬が一層可愛くも感ぜられると動じにおかしさもこみ上げてくる
「………ぷっ」
「な、なにがおかしい!」
「いや、だってあんさんが『すまない』なんて言葉を口にするなんておもわんかったんや。そ、それがもうおかしゅーてな」
摩奈瀬の心外だといわんがばりの表情も峻を一層笑いにかきたてる要因となり、笑い続ける
摩奈瀬はますます心外だといわんばかりの表情で、
「う、うるさい! 私だって悪いと思えば謝罪ぐらいはするわよ!! それに……」
「そ、それに……な、なんやねん……」
峻は相変わらず笑いを必死で噛み殺そうと腹と口を抱えながら摩奈瀬を見上げ、そのあとに続く言葉を待つ
だがその言葉、いや行動は峻の予想を反するものだった
見上げていた摩奈瀬の姿が少し沈んだと思った瞬間、峻の身体は宙を奇麗に舞い、とっさのことで受身も取れずにコンクリートむき出しの屋上の地面に叩きつけられる
その地面に叩きつけられた際に峻は背中を強打し一瞬呼吸が止まったかとさえ思った。だが次の瞬間にはその痛みを声にして吐き出しておりその思いは杞憂だったと後に気付く
だがなぜ自分が地面に背中を強打したのか。いや、そもそもなぜ自分が宙を舞ったのかの疑問が脳裏をかすめる
倒れこんだまま目を見開くとそこには雲一つない青空が漂っており、こんな状態でなければこのまま目を閉じて一休みしたいという思いが浮かぶ
そんなことを考えていると、腹に背中と同じような……いや、それよりも強烈な痛みがあることをいまさらながらに自覚する
この痛みはなんだろうと起き上がって腹に手を当てる。そしてゆっくりと自分が先ほどまで立っていた場所に視線を移すと、そこには足を上げたままの姿勢でいる摩奈瀬が立っている
宙を舞って地面に叩きつけられてからそこまでの動作に要した時間はほんの数秒である
そしてその摩奈瀬の格好は峻もよく知っているものだった
そこに至って峻はなぜ自分がそのような事態にあったのかの事実を知った
摩奈瀬はゆっくりと足を下ろして峻を見据え、ニッコリと微笑み、
「それに……いい加減にしないと、蹴るわよ」
「も……もう蹴っとるやないか……」
恨めしそうに言う峻を見ながら摩奈瀬は「フフン」という冷笑的な呟きだけをもらした
そのとき昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響き、摩奈瀬はクルリと峻に背を向けて屋上出口に向かって歩き出した
峻はその後ろ姿をただぼんやりと見つめるだけでなんの言葉を発することもできなかった
(つづく)