-鬼宿 弐-


第四幕





乾いた足音がカツン、カツンと廊下に鳴り響く

足音の主はその歩みに明滅する非常灯の明かりだけを頼りに薄暗い廊下をなんの迷いもなく進んでゆく

その廊下に面しているドアのプレートはどれも表示がなくただ真っ白なだけでなんの部屋なのか皆目見当もつきそうにない

だがその足音はある一室の前で止まる

そのドアにはやはり真っ白で何もかかれていないプレートが掲げられ、一見空き室であるとの先入観が持たれる

足音の主がゆっくりとノックを3回すると中から威厳ある声で「入りたまえ」という告げられる。そして足音の主は言われたとおり入室する

その部屋は廊下同様に薄暗く、いや廊下以上に薄暗い。常人であれば廊下からの緊張で息の詰まりそうな場所だ

だが廊下と違うのはその部屋の薄暗さだけではなく、むしろ雰囲気に決定的な違いがある

そこには薄暗くてよくはわからないが、少なくとも5人以上の人間が円卓テーブルに肘を乗せ椅子に座っている

その皆の視線は入室者を値踏みするように投げかけられる


「来たか……沖村君」


部屋の奥からの聞こえたその声は先ほど入室を許可した人物の声と同様威厳に満ち、まさにこの部屋の最高責任者その人である

その一言で部屋に居合わせた者達は一様に沖村と呼ばれた人物に再びその視線を向ける

沖村はその視線にまったく動じることなく直立不動で、自身の視線は部屋の奥に向けられたままそらさず微動だにしない

そしてしばしの沈黙のときが流れる……

その場に居合わせたものはみな沖村と言う人物を何度も品定めするかのごとく眺め、誰も何も語りださないのを意にも介さない

そしてさらに数分の時が経過したとき、やがて奥に居合わせた人物が再び口を開く


「さて………報告を聞かせてもらおうか……… 鬼宿(キジュク)に関しての報告を………」


その言葉に周囲の者達もさらに険しい視線を沖村に向ける


沖村―

JCIAに勤務する責任者の一人。 年はまだ若いが、その若さにしてすでにJCIAの作戦の一つの責任者に就いている

JCIAは内閣の重要政策に関する情報の収集及び分析その他の調査に関する事務を担当し、内閣情報官のもとで、国内部門、国際部門と多種にもその職種は及ぶ

そして沖村が現在担当しているのはコードネーム"鬼宿"。部類で言えば国内部門の一つにあたる

だがコードネーム"鬼宿"は丸秘の最重要事項に分類されており、その詳細を知るものは少なく資料の閲覧にも各種のパスを必要とする

沖村はその"鬼宿"の責任者である


沖村は室内にいるメンバー全員をザッと見渡し、一呼吸をおいた後に口を開く


「現在確認されている鬼宿は5体………そのうちの一体を先日………すでに科学班に回し中身を解剖して調べております」

「その一体目……01(ゼロワン)と言ったな……… 能力は洗脳と変身か……」

「その洗脳については本日新たな発見がもたらされました」

「ほぉ……聞かせてくれたまえ」

「一言で言えばその洗脳は"感染"であります」

「感…染…? ……つまりは……―」

「はい、感染した人間のみに作用するのです」

「……一体どうやってそうなるのだ…」

「血です」

「血?」

「01の血液をその体内に取り込むと、その01の血液は体中をめぐり一気にその人物を支配するのです」

「つまり……相手の身体を乗っ取るということか」

「そうなります」


室内に居合わせた面々は01と呼称された敵の能力の一端に驚きの声を漏らしながらも内心ではそこまで警戒するほどでもないという思いに満ちていた

沖村もここまででそうなるであろうことはわかっていたので驚きも、または彼等に対する憤りもない

そして室内のメンバーの次の言葉に端を発し、室内に今まで以上の緊張が走り出す


「………だが報告では洗脳にあっていた人間は50人はくだらなかったそうじゃないか。 まさかその一人一人を捕らえ01は己の血を飲み込ませでもしたのかね?」

「いえ、そのような必要はないでしょう。 なにしろ01は数滴の血液で事足りるのですから」

「………」


沖村のその言葉にいまいちピンと来ないのか、みなはわからないといった表情で沖村を見る


「つまり、コーヒーにミルクをこぼす………『波紋』……ということです」

「まさか……そんなことで?」


沖村の説明はつまり、飲料水の貯水タンクに己の血液を数滴垂らせば事は足りるということを示唆し、更に言えば貯水タンクでなくとも貯水場に垂らしても効果は得られるわけである

もしそんなことになれば家、学校、レストラン、ありとあらゆるところで01の洗脳という手段に感染してしまう恐れがあるのである

そのことを理解したからこそ室内に居合わせたものは今この瞬間にもまわりの誰かがすでに洗脳されているのではないかと疑いの目を投げかずにはいられないのである


「現にこの結果を元に洗脳され行方不明になっていた被害者達を再調査した結果……その全ての家の飲みかけの飲料水から発見されました」

「!!」

「つまり01は労せずに洗脳による忠実な兵隊を持ったというのか」

「そうなります」

「………それが本当なら由々しき事態だ。 だが幸いなことにすでに01は無く、その脅威は去ったわけだな?」


その一言に室内に"安堵"という空気が投げ込まれる。 だがそれも次の沖村の一言で再び緊張へと替わる


「いえ………そうとも言い切れません」

「どういうことか?」

「はい………我々が入手していた鬼宿計画では、もともと鏑木博士が実験体に与えていた能力は唯一つ。 それが01は2つ持っていた………」

「つまり……他にも洗脳の類の能力を持ったものがいる……それがこの日本にいるというのか」

「確定はできませんが、楽観できる要素もないと思われます」

「鬼宿か……まったく、やっかいなものを残してくれたな」


言いながらその視線を沖村から傍らの男に向ける。その場に居合わせている者たちも同様に視線をその男に向けた


「これは異なことを………この計画は私が始めたことでは……… いえ、確かに我々の"機関"が始めたことは素直に私も認めましょう」


男はそこまで言ってから一息つき再び口を開く


「ですが、これを決定したのは……あなた方も同様だ。 それに我が機関は決して秘密結社ではなく、国の一機関であるに過ぎないのです。だからこそ何故このような計画を我々が進めなければならなかったのかはあなた方もお分かりでしょう……」

「わかっている。 だからこそあえて貴様に責任があるなどとは言っておらん」

「そのもの言いでは素直には信じられませんな」

「………」


その一言はそこにいる皆に向けられていたことは明らかであり、それがわかるからこそ表にこそ出さないが明らかな不快感を皆は感じざるにはいられない


「やめたまえ! ここでそのような醜い言い争いをしていても始まらん。 問題はすでにある残りの者達にどう対処するかだ」

「……ですな。 残りは…4体ですか。もっとも能力が増えていることから、すでにその数も増えているかもしれませんな」

「?」

「つまりです、どこかの機関なり国なりがあの時消息不明になった実験体の身柄を確保し研究した……そして新たな能力を与えた。 そう考えるのが妥当じゃないですかね?」

「あの実験体を他国がすでに入手していたというのか? 北朝鮮、中国……いや、同盟国のアメリカだって考えられる」


その国のどれにもその可能性があり、他にもあるという疑念は彼らの頭から消すことは不可能だった


「落ち着いてください。私は可能性を述べたまでです」

「だが頭から消去できる可能性でもあるまい……」

「だが鬼宿を与えるには薬のように誰にでもと言うわけにもいくまい。 鬼宿は人間の遺伝子とは綱渡りのような駆け引きによって共存できるもの。……私はそのように聞いている」

「確かに鬼宿は万能ではありませんし、ましてそれが脳細胞であればなおさらです。 ですから当時は6体いた実験体も間も無くして5体に減っています」

「……………」

「とにかくだ……今の問題はそんな仮定の話ではない。 すでに我等の近くにまで脅威として迫っている者たちへの対処だ」

「左様………すでに当時研究に出資していた者、そして指示を出していた者が殺されている……これまでにない残酷な方法でな」

「ああ……一人は身体をなます切りのようにされ出血死……あるいは生きたまま焼かれた者もいる。いづれもが何かしらの拷問を受けたあとで……だ」

「それほどまでの殺意が連中にはあるのだ」

「我らが生み出したものに我らが恐怖する…… 他人が聞けば滑稽な話だな」

「そんな笑い話で済ませられることではない。 沖村君……なんと言ったかね、例の彼女は?」

「現在名乗っている名前は北宮 摩奈瀬。 元の名前に関しては、たとえここにいるメンバーであっても明かすことはできません」

「構わんよ。 だが年齢が16歳とあるが…… これは本当かね?」

「隠す必要はありませんので」

「だが……悪いが若すぎるのではないかね? その……我々が望む狩人(ハンター)としては」

「ご心配なく。 彼女はすでに立派な狩人……いや、鬼と化しています」

「鬼……かね?」

「そう……彼女には連中を滅するのになんの躊躇いもありません」

「何故……かね?」

「彼女に何か連中を殺すことに対する理由でもあるのかね?」

「もちろんです。だがそれは金や国に対する忠誠心などではありません」

「忠誠心のないものにこの任務がまっとうできるのかね?」

「彼女の場合、それは忠誠心を凌駕するものです」

「忠誠心を凌駕? 一体なんだねそれは」

「…………」


沖村はその問いを応える前にしばしの間をおいた後、ただ一言だけ告げる……


「復讐………です」






10分後、すでに同室には奥に座っている男と沖村、そして沖村の向かって右側に座っていた男だけとなっていた


「ふぅー……まさか防衛庁長官、警視庁長官、科学長長官……他にも各省庁の重役が同席していたので息が詰まりました」

「そうかね? 私にはいつもと変わらぬように見えたがね」

「私とて人間です。 雲の上の人間がこうも一堂に会していては緊張もします」

「ふふふ……君は少し冗談がうまくなったようだ」

「恐縮です」


そう言われ沖村もフッと笑みを漏らす


「そうそう……彼女にサポート役を就けたそうだね。 確か彼は警視総監……君の―」

「おほん……気にしてもらえて助かりますが、表向きには私とアレはなんの関係もありませんので」

「ああ、そうだったな」

「だが……沖村君、アレはうまくやっているかね?」

「ええ、彼は彼女の良きサポート役になるでしょう」

「だが………今にして思えば如何に非核三原則を唱え核武装が不可能であったとはいえ、あのような計画を発動させたのは過ちだったかもしれんな。その結果が今のような事態を招いてしまった」

「ですが、当時の冷戦下の中ではそうも言ってられなかったでしょう。公然と核武装を否定していた我々には新たなる力が必要だったのも事実です」

「鬼宿……当時ではボタン一つで都市一つを破壊できる核をもつことがそのパワーバランスにおいて大きな意味を持っていた。今でもその現状は変わらないが、」

「結局我々は確かに最高の"兵器"を製造したのでしょうな。そしてその兵器が今では我々に災いをもたらさんとしている」

「………」

「今となっては我々の願いはクリムゾンが鬼宿の存在を世間に知られることなく秘密裏に葬ってくれることを願うだけか………」

「ご心配なく"総理"。彼女は優秀です。 そして、もちろ警視総監、あなたのご子息も」

「…………」

「ところで……その2人は今は?」


総理の問いに沖村は一呼吸置いた後に………


「本日北宮摩奈瀬、実朝峻の両名は当施設内にて訓練中です」










「……がぁっ」


苦痛のうめき声とともに巨体が宙を舞い、重力の導くままに床に叩き付けられる

そしてその倒れた男を笑顔で見つめる摩奈瀬がいた


「そこまで!」


審判役の訓練生がスパーリング終了の合図を告げると、倒された男のほうも後頭部をさすりながらゆっくりと起き上がる


「さすがだな、摩奈瀬。病み上がりとはいえ技の切れは衰えていなかった」

「はい。 お相手いただきありがとうございました」


摩奈瀬は頭を下げ審判役を務めてくれた訓練生にも礼を述べ、回れ右をして出口へと歩みだす

言葉には出さないが杏との死闘による負傷のためにこういった訓練はしていなかった。そのため摩奈瀬は技の切れが鈍っていたり自分にも気付かない負傷による後遺症が出てはいなかったかと不安はあった

だがこうして訓練に戻り以前と変わらない身体のキレに摩奈瀬は心のどこかで安堵していた

摩奈瀬はまっすぐシャワー室に入り、汗のついた衣服を脱いで熱いシャワーを全身に浴びる

シャワーを浴びながら摩奈瀬はこうして自分がまだ戦えるということに喜びを感じていた。

本来なら負傷によるリタイア……そのほうが死への確率は格段に低くなるにも関わらず、摩奈瀬が望んでいたのは新たなる戦いであった

確かに杏の死に際の言葉と涙は今も頭から離れない


『……私達の人生を奪った連中全てに………』


そう、言うなれば連中も被害者であったと摩奈瀬は知ってしまい少なからず……いや、言葉には出さないが多大な影響を受けているのは自身も認めている

本来なら杏の最後の言葉は聞かなければよかったかもしれない。だが自分のことを知らしめずに死なれることには抵抗があった

摩奈瀬の家族、そして人生を奪った鬼宿。 摩奈瀬を今動かしているのはその復讐心のみ

故に摩奈瀬が今一番恐れていることは志半ばにしてその復讐を果たせぬこと

だが摩奈瀬は再び復讐という舞台を果たせる場へと戻れた。これを悦ばずして何を悦ぶというのか


「ふふっ………あはは…………あははははははははは…………」


シャワー室に摩奈瀬の悦びの笑いが響き渡る

摩奈瀬自身何故自分が声に出して笑っているのかはわからない。だがこうして声に出して笑っているのは事実だった

そして…………

何故か摩奈瀬は笑いながらも視界が滲んでいるのもわかる。 おそらくシャワーを浴びているせいだろうと摩奈瀬は一人納得し、シャワーの給水を止める

そして天井を見上げた後、バスタオルを取ろうと手を伸ばす


「ほい、バスタオル」

「ありが―」


手渡されたバスタオルを受け取り、礼を言いかけた途端摩奈瀬はふとその動きを止める

今この場にいるのは自分しかいないはず。だがこうしてバスタオルを渡してくれた相手がいた

誰が? この問いに摩奈瀬はゆっくりと右の拳を握り締め、目を一旦閉じた後平静を努めようとする


「……アンタ…一体、ここで何やってんの………」

「ん? あぁ、俺も今日は訓練で来て、そしたら摩奈瀬も来てる言われてな。 それで〜………」

「………それで?」

「シャワー室から音が笑い声が聞こえてきたからここやと思ったわ」

「実朝。アンタ……なに考えてんの………」

「俺はただ本能のままに行動しただけや!」


摩奈瀬の問いに峻は胸を張って応えながらまじまじと摩奈瀬の裸身に視線を移す

摩奈瀬は訓練によって無駄のない肉付きが形成され、結果絶妙なまでのプロポーションとなっている

そのため峻の鼻の下は伸び、その視線は釘付けとなっており、至福の瞬間を味わっている

だが………次の瞬間に鬼と化した摩奈瀬の姿を見た後、握られた右拳が峻の顔面に直撃したのであった




(つづく)

2004年5月17日




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