その名はぱそ奈
作:Parasite 原案協力:沙織 イラスト:ゆう子





20世紀後半に爆発的な勢いで拡大を見せたコンピュータ産業は2020年の現在になっても、衰えることなくその発展の一路をたどっていた

未だ家電製品という一面を持ちながらもすでにパーソナルコンピュータの名前通り一家に一台などではなく個人所有が当たり前となっている

そしてついにそのパソコン業界にもとうとう革命ともいえる現象が発現した

人口知能技術の発達により人間のように自分で考えて行動する、つまり"人格"を有するコンピュータが登場したのである

この人口知能技術は単なるプログラムによって構築されたそれとは違っていた

それは人格を形成する人工知能作成の際に3人の脳波をコンピュータに読み取らせ、その脳波を元にランダムにコンピュータの人格を形成するというユニークかつ画期的なものであった。故に読み取られたコンピュータの人格はプログラムではなくランダムに算出されたものであり予測のつかないものであった

この人工知能の開発に成功した際のマスコミに向けられた発表に世間は半信半疑ながらもその興味はその未知なるものへと向けられた

ランダムによるコンピュータの人格設定……これにより性別はもちろん、所有者に忠実であったり、反抗的になる可能性もあり、もちろんその後のユーザーとの接触によって変化がもたらされる。まさに人間とそっくりな存在の誕生である

もっともこれは開発側からもたらされた情報でありまだ市場には出ていない

どのような結果をもたらすのかをチェックするため100人のモニターとなるユーザーが集められた

そしてこれは人格を所有したパソコンとモニターを務めているユーザーのお話である―






2020年クリスマス。どこにでもあるありふれた都内アパートの一室。その1LDKの部屋には不釣合いなパソコンと簡素なベッドしか置かれていない

壁にはアイドルのポスターも貼っていなければ、1着のコートが掛けられているのみでまさに飾りっ気もない部屋だった

ベッドの上にはその部屋の主が静かな寝息をたてながら眠っている。そして側の時計はもうじき6時半を指そうというとき、部屋に置かれたパソコンの電源に灯がともる

持ち主である男は依然眠ったままでパソコンには指一本触れてはいない

だがモニター上には"Good morning"という文字が表示され、続いてキーボードを打っていないのに続々と言葉が画面上に表示され始める

なにかのコンピュータトラブルを告げる内容でも、ウィルスによる誤作動などではない。その証拠として表示されている内容はとりたてて意味のない文であった

そして、やがて………


『ぐっもーにん、周(シュウ)!朝だよ朝!さっさと起っきないと遅っ刻しちゃうよ〜!』

「んん〜〜……お願い…あと3分だけ」

『そういって、この間は15分も寝過ごして遅刻したのはどこのどちら様でしたでしょうか?』

「そんな昔のことは覚えてない…俺には目先の現実よりも3分の睡眠が欲しい……」


周はそう言うとディスプレイに背を向けて再び寝入る

周のその態度にディスプレイは『………』という表示すると、


『んっふふ〜……今日もそんなこと言ってられるかな〜〜〜』

「んんん〜〜〜〜」

『こーら、周! だらだらと寝てないでさっさと起きて着替えて飯食いな!片付かなくてしょうがないよ』

「ひっ、か…母ちゃん! なんでここに?」


周は飛び上がって周りを見渡すがそこに”母親”の姿はなかった。呆然とした周の顔を笑うかのように机の上に置かれているノートパソコンの画面に女の顔が表示される


『周起きた? やっぱこの方法が古典的だけど効くみたいね♪』


したり顔ならぬしたり声が周の耳に届く


「あっ……今のお袋の声………お前が? でも、いったいどうやって?」


周は寝ぼけ眼のままディスプレイを見つめる。だが人間と違ってそこには表情もないため微妙な心理状態などわかろうはずもない

というか四角いディスプレイを眺めながら問答しているその光景はあまりにも歪(いびつ)で違和感のあるものだった

幸い(?)にも当初こそなかなか慣れなかったものの、周はこの状況にすでに慣れきってしまった

要はSF映画やアニメに出てくるような人工知能をもった機械と話しているのと同じだからである。そういうのを観たことがあるので違和感があったのは最初だけですでに慣れきってしまった

もっとも慣れてしまったということにも問題はあるのだろうと自覚もしている…


『以前に周のお母さんが電話してきたときに音声を拾って作ちゃった♪』

「『作っちゃった』って……あのな〜、お前………なんか悪戯ばっかりどんどん覚えていかねーか?」


周は観念したように起き上がると、タオルを片手に洗面所へと向かう

「ジャーーーッ」と勢いよく水が流れ出し、そこに手を差し出して手のひらに溜め身をかがめて顔を洗う

その動作を5回ほど繰り返した後に持っていったタオルで顔を拭き、洗面所から寝室へと戻る

それを待っていたかのごとくパソコンは語りだした


『だって、周ってあんまり私と過ごしてくれないんだもん……せっかくいっつも一緒にいてもお話なんか全然してくれないし、代わりにつっまんないデータばっかり入れちゃうし』

「あのな〜……お前の所有者は何度も言うようだけどオ・レなの! だいたいお前はパソコンなのにいちいち俺の使用法に文句ばっかり言うな!アダルトサイトにはプロテクトかけるし」

『エッチなのはいけないの!』

「0時過ぎると電源落とすし」

『夜更かしはお肌の天敵!』

「彼女からのメールは勝手に読むし…」

『浮気は駄目!』

「……ソフトをダウンロードしようとしたら拒否するし……」

『今ダイエット中なの!!』

「……………」



ここまで言われると周はうつむき人差し指で眉間を指す。もはやなにを言っても似たような答えで、しかもパソコンではなくまるで人間のような回答なだけに始末が悪かった

確かにこれは人間の脳波を読み取ってランダムにその性格が形成されているとはいえ、自分のことを人間のように擬人化されると当人にとっては笑い話にもならなかった

なによりも問題なのはパソコンがユーザーである周の意思を離れて作動してしまうことだ

………それもこんなに人間染みて


「ダイエットって柄じゃないだろうが! 大体パソコンがダイエットってなんだよ、ダイエットって!」

『ひ、ひどいわ周。 わ、私はただパソコンじゃなく一人の女として周に見て欲しいのに』

「一人の女って……ぱそ奈、おまえな〜」


ぱそ奈― それがこの人工知能を備えたパソコンに周が命名した名前であった。

この人工知能をモニターしているほとんどのユーザーはパソコンと会話をするために各々が名前をつけている。一応型番号などもあるのだがそんな名前で呼ぶのは面倒だし、なにより味気がなかった

そもそも物に名前を付けるのは古来からの人の習性でもあり、愛着を表現する行為でもある

周もその一人であり、彼がそのパソコンに付けた名前、それがぱそ奈であった


『やだ!ぱそ奈なんてそんなダサい名前で私のこと呼ばないでよ! だいたいなんて安直な名前なのよそれは!もっと愛着の湧く名前とか思い浮かばなかったの!』

「なんだよそれ。これでも俺は3日3晩悩んだ挙句に付けたんだぜ」

『その3日目の晩にグデングデンに酔っ払いながらね………』

「い、いいじゃねーか! お、俺はお前に付けたこの名前が気に入ってるんだよ」

『うう……そうよね。周ってば昔っからネーミングセンスはないのよね。テレビはテレ子でビデオはビデ美。おまけに携帯電話はケイだもん……』

「あ、愛着を付けるために女の名前にしたらそうなったんだよ!」

『ひどいわ、周! その愛着を付けるための名前が酒の勢いで付けたものだなんて!』

「お、俺は昔からそうやってきてんだからいいだろ! 素面だといい名前なんて浮かんでこないんだし」

『それで私もその被害者の一員になってしまったのね………』

「うわーーー!泣き顔画像なんか出すな頼むから! だいいちお前を一人の女として見ることなんかできるわけ無いだろ」


周は顔をホワンと緩めながら言う。そして視線を本棚の上に立てかけてある写真盾に移す

そこには周と、その腕に抱きつき幸せいっぱいの笑顔を向けた笑顔の似合う女(ひと)が写っている

もちろんそれは周の妹などという落ちではない


「俺にはお前なんかよりかわいいか・の・じょがいるんだよ! そんでもちろん今日もデートの予約いれているしな♪ なんたって今日はイヴ。アイツの好きな映画を見た後はアイツが行きたがってたイタ飯を食いにいくのさ♪」

『あ、そのことで言いにくいんだけど周………』

「なんだよ……」


幸せ気分に浸っている周に、そのぱそ奈の言葉は癇に障るものがあった


『悪いけど周ってば振られちゃったよ』

「…………へっ?」

『だから。周ってばフ・ラ・れ・た・の』

「なにぃーーーーーーーーーっっっっ!!!」

『昨夜周が寝てる間にメールが入ったの。再生してみる?』

「うっ………… た、頼む…………」

『了解〜♪』


そうい告げるとディスプレイにメールへの接続中という表示が現れ、すぐに目当てのボイスメールが開かれる


『も・し・も・し。私だけど周!あなたって最低ね。私というものがありながら他所にたくさん女を囲っていたなんて。「愛してるのはお前だけ」なんてくさい台詞に騙された私が馬鹿だったわ。せいぜい他の子達にはばれないようにすることね。 二度と電話なんかかけてこないでよね! さ・よ・な・ら!』


最後の「さよなら」という言葉には周のことをこれでもかというぐらいに憎しみが込められていた

だが当の周はただ口をあけて唖然とディスプレイを眺めているだけだった


「な、なんだよ今の……俺が他所に女を囲ってた? なんのことだよそれ……」


メールの内容は周にはまったく身に覚えの無い出来事で、ただ唖然とするしかなかった


「そ…そうだ! とにかくアイツの誤解を解かないと!」


周はすぐに携帯電話(ケイ)を取り出し番号検索の後にダイヤルする

だが…………

『お客様がおかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上もう………』

「え?」


周はもう一度番号検索をしてダイヤルしてみるがやはり結果は同じだった


「は…はは。ば、番号が変わってる………」


突然の出来事、そして誤解を解く望みを失った周は半ば呆然としていた

その周に対してぱそ奈はなんのリアクションも示さず……いや、何かしらの行動を起こすべくハードディスクのモーター音が響きだした


『可哀相な周……でも安心して。周には私がいるんだから』


先ほどまでの嬉々とした声ではなく、周を慰めるその口調に周は顔を上げる

だが………


「うわぁぁぁっ! ぱ、ぱそ奈お前―」


周は突然の出来事に思わず後退する。そこにはホログラムによって女性が映し出されていた


「ぱ、ぱそ奈……これは一体……」


なによりも周が驚かされたのはホログラムによって映し出されたその光景はまさに周の理想像とでもいうべき姿だった

ショートカットで目鼻は整っており、微笑の似合う口元。そして胸は大きすぎず小さすぎずとそこには周の理想像が映し出されている

『へへへ。周を驚かせようとこっそりプログラミングしてたのよ』

「ぷ…プログラミングって。 お前そんなこともできたのか?」

『どう、気に入った?」


ぱそ奈はそういうとホログラム画像に決めポーズをさせる

そのポーズがまた周には魅力的であり、自分の顔は真っ赤なのではないかとドギマギしてしまう。その証拠に口に出した言葉は……


「う…うん……」


周はただコクリと頷きながら言う。

「で、でも………よくそこまで俺好みに映し出されてるな」

『それはね、しゃくだけど周の今までに付き合った女の人達や周の好きな女優やアイドルを元にしてるからね』

「ああ、なるほど……って、お前!ハードディスクから消去したんじゃないの?」

『周に見れないように新フォルダ作ってそこにプロテクトかけて移しておいたの』

「プロテクトって……お前……そこまでするか?」


言われてみれば確かに自分には見覚えのないフォルダがあったのを思い出す


『だって……周には私だけ見ていて欲しいじゃない? なのに周ってば他所の女の画像データなんか入れようとするんだもん』

「その挙句にテキストや音楽、映像データまで全部消してくれたけどな」

『まぁまぁ、いいじゃないの、細かいことは! ここはこの姿に免じてさ♪ ねっ?』

「う・・・うん」


周はそういった瞬間にハッとなる。なぜ自分は今ぱそ奈を許してしまったのか

それはホログラムとはいえそこに映し出された姿はまさに周好み。故に周には怒るという感情が一瞬消えていた

おそらく周のそういった行動もAI(人工知能)で計算されていたのだろうと思い至ると周はそれに恐怖さえ感じそうになった

そして………


「ん? でもなんで今のタイミングでお前そんなホログラムなんか俺に見せたんだ?」

『え? それは周が付き合ってた子に振られてその姿が可哀想だったからなんとか元気づけたかったのよ』


そこにいたって周は改めて自分が振られたことに気づいた。そしてあのメールの内容を……


「まてよ? 身に覚えの無いメールにこのタイミングでのお前のその行動……ま、まさか!」


周は恐るべき一つの推測を脳裏に描く。だがそれがもっとも事実に近いだろう推測だった

ありえないと思いながらも、ホログラムとはいえ目の前のぱそ奈の姿を見ているとそれが確信にも変わりそうであった

周のそんな疑惑の眼差しにでも気づいたのか、ホログラムで造られたぱそ奈の目が逸れた


『や、やーね周。 私は決して彼女の電話に応対したことなんてないわよ………』


言いながらその表情には汗まで浮かんでいる。まったくもって凝った造りだと周は感心する。

だがそれとこれとは別問題であり、ぱそ奈の口走った今の一言が決定的であった


「そうだよな……ぱそ奈にそんなことができるわけないもんな」


周はそれまでの疑惑の視線を送るのを止め、ぱそ奈に笑顔を向ける

ぱそ奈も周のその顔を見ると安堵の表情を浮かべた


『でしょでしょ? だって私パソコンだもん♪』


ぱそ奈は自分に都合が悪いと決まって自分がパソコンであることを主張する

「パソコンだから人間みたいなことは出来ない」といつもこう主張するのである。平時にいたっては自分は人間だと主張しているにも関わらず、だ

周はすでにぱそ奈の性格(?)を理解していた


「そうだよな。でもパソコンっていろいろ出来るんだよな?」

『うんうん。周望むことならなんだってできちゃうよ♪ とりあえず脱ごっか?そっちも周の好みにできてるよ』

「いや……それはまたの機会で」

『………?』

「でも、さっきお袋の声を真似してたけど、ああいうのを応用していろんな声を造れるんだろ?」

『うんうん。元になるデータを組み合わせた何百通りにもできるよ』

「へぇ〜、さすがぱそ奈だな。じゃあ電話の応対で俺の真似をすることもできるとか?」

『もっちろん!』

「ちなみに彼女からの電話には誰の声を使ったんだ?」

『もっちろん、若〜い女の子の声を使っ―』


ここまで言いかけた途端にぱそ奈の顔がハッとなる。そして周はニンマリと笑いながらぱそ奈を見据える


『え、えっと〜。なんていう冗談はー―』


ぱそ奈は逃げにかかるが、もちろん周は逃がすつもりはない

周の笑顔が先ほどまでと違い、怒りの笑いに変わっているのだとぱそ奈もわかって一応の笑顔は浮かべるがその顔は引きつっている


「なるほど。ぱそ奈って優秀だよな、わざわざ別の女の振りをして俺の彼女の応対までしてくれるんだから」

『い、いやぁ〜。ちょ、ちょっと気を利かせすぎちゃったみたいね』

「ああ。お前からのクリスマスプレゼントかと思うと、こう握りこぶしを作っちまうほど嬉しいぜ」

『あ、あははは。 こ…怖いよ〜、周。目が笑ってないもん』

「当たり前だーっ! 今日という今日は許さんでー!」

『あ、なんか変な方言まぢってる』

「うるせー! 今日という今日は―」


言いかけた途端にぱそ奈は周の背後の柱時計を指差す


『きゃーーーっ! あ、ほらほら周! 時間時間!遅刻しちゃうよ、遅刻』


そんなことで逃がすつもりもなかったが、確かに時間はギリギリだった

果たしてぱそ奈はここまで計算していたのだろうかと考えるも確かにすでに出発しないと遅刻確定の時刻であった

だが周もニンマリと笑顔をぱそ奈に向け、


「いいだろう。 ぱそ奈のおかげで今日は暇になったからたっぷりと相手ができそうだ」

『え、本当!?』


なにを勘違いしているのか、ぱそ奈の目が輝きだす。そう文字通りホログラムによって目の中の極小の点が明滅しているのだ

だが周はそんなもんに感心している余裕などはこのときなかった


「帰ったらじっくりと説明してもらうからな!」


言うや否や周はクルリとぱそ奈に背を向け、壁にかかっているコートを取り家を飛び出し駆け足の音が部屋にまで鳴り響く

そして部屋に残されたパソ奈は………


『さって……どうしようかな……… ………そういえば今日ってクリスマスだったんだっけ?』

『こういう時ってなにか飾りつけしたほうがいいかな? なにしろ初めて周とすごすクリスマスだし♪』

『クリスマスに振られた周を、帰ってきたらいっぱい優しくしてあげないとね』

『でもその前に〜……… ちょっと寝ようっと……』


そういうとぱそ奈は自身のホログラムを切り、ディスプレイに"Merry Christmas"と表示させ待機モードへと移行した

途端に先ほどまでの部屋の喧騒が途絶え、静寂がこの空間を満たす

聞こえるのはただパソコンのファンの音だけであり、それがまるでぱそ奈の寝息のごとく穏やかに感じられた

眠っているときはなんともないが、一度目覚めればこの悪魔的な性格のAIを備えたパソコンとそれに取り憑かれた周との関係はまだまだ始まったばかり

そして……他所でもモニターとなっているユーザー達とAIパソコンとの話もそこかしこで聞こえてくるのであった

そう、耳を澄ませれば周と同じような嘆きと怒りの声が………


to be continued In another story ...