第八話「兄妹」
「イタタタタ、もうちょっと丁寧にやってよ!」
「うっせーな!さっさと腕をこっちに出せ!」
「もう、こんな乙女を乱暴に扱うなんて差別よ!」
「まったくおまえもあんなの喰らっちまうなんて腕が鈍ったか?」
「フンッ、私をあんたらみたいな化け物と一緒にしないでよ。私はお宝好きのごく普通の女子大生なんだから」
芳乃のその言葉に優は傍らに置いてあるものを見つめる
「ごく普通の…」
そこには芳乃の銃器や様々な妖しげな道具が置かれていた
「女子大生ね〜……」
「ア……アハハハハハハハ」
優の言わんとしていることがわかったために芳乃は頬に汗を流しながら乾いた笑い声を発す
その芳乃の表情の変化に優は嘆息すると怪我の治療に専念する
「よしっと、これで終わったぜ!」
「痛った!もう、ちょっとは優しくやってよね」
「これでも十分に優しいと思うぜ俺は」
「まったくもう」
憤慨した表情でプンプンとしながら衣服を着なおし、そしてふと視線を横にずらす
そこには膝を抱えうずくまっている李梨がいる
しばらくそちらを眺めた後優のほうへと再び視線を戻す
「……彼女、大丈夫なの?」
「さぁな」
「さぁなって……でも彼女って本当にただの案内役なの?それにしては身のこなしも、さっきの銃の腕だって相当なものだと思うけど」
「俺はただガイド役としか聞いてないから李梨の詳しいことは知らないぜ」
「優ちゃんって……」
「さっ、おまえの手当ても済んだことだし先を急ぐか!」
「ちょっと!」
「ん?」
「…彼女」
芳乃は指で李梨を示しながら優に告げる。優はその言葉に従って視線を動かすと相変わらずうなだれたままの李梨が視界に入る
「彼女 ……あのままでいいの?」
「ん〜〜〜」
優は迷った。何故ならこの場合どう声をかけていいかわからないからである
「ホラッ、行って来なさいよ」
その優の態度が煮え切らない芳乃はドンッと李梨の方へ優の背中を押す
「うわっ………よ、よぉ!」
呆然としている李梨の目の前に押し出され優は向ってただ一言そう言う
だが李梨の視線はただ己の銃器にだけ注がれていた
「ったく…… よう李梨…気分はどうだ?」
「……最悪よ」
優の問いかけに李梨はポツリと返事する。その声には沈んでおり、空港で会った時の明快さはなかった
「だろうな。誰だって銃を撃った後で気分のいいやつなんかいないさ」
「……そうかしら?」
「ああ、確かに俺ややつらはためらいなく引き金を引ける。だけどな勘違いしないでくれよ、これは俺たちのなにか大切なものが壊れちまっているからさ」
「……(大切な)何か!?」
「ま、端的に言っちまえば人間らしさ、ってやつだな。これが壊れているから俺たちみたいなやつらはためらいなく引き金を引ける。でも李梨みたいな人間はためらう。そして例え引いた後でも嫌悪感が残る」
「ええ、その通りね」
「でもそれが本当は正しいことなんだぜ。俺達みたいな人殺しが世の中に蔓延しちゃ世界はもう終わりさ。そうならないためにも李梨のような人間にはわかっていてもらわないとな」
「……何を?」
「人の命の重さってやつさ」
優は李梨の目を見据えながら言い放つ
そしてその目にはどんな言葉よりも優れた説得力が含まれていることを李梨は一瞬感じてしまう
だが同時にその優の説得を打ち消す思考が頭の中に浮かんでくる
確かに自分は人を殺したくて引き金を引いたのではない。けど結果として引き金を引いてしまい敵とはいえ殺してしまった
その思いが李梨の心を縛る
「……今の私には重すぎる言葉ね」
それは優にもわかっている。立場は違えどもかつて自分も感じたことだからだ
「まぁな。 でも李梨、あんたが引き金を引かなきゃアイツは死んでたぜ」
優はクッと指で芳乃を指差し告げる
その言葉に対し李梨はきつい視線を優に投げ掛ける。今の優の言葉に対して明らかな嫌悪感が李梨の胸には存在したからだ
そしてその感じている心のままに立ち上がり片手を胸の前に添えて言い放つ
「でも私の放った銃弾は確実にあの米兵の生命を絶ったのよ!! 確かにあなたの言うとおり撃たなければ彼女は死んでいたわ!! ……そして銃を撃つための訓練だって私はしていた!!」
「訓練と実戦は違うぜ」
訓練では的を撃ち抜くだけ。実戦を想定した訓練でも使うのは実弾でなく主にペイント弾、もしくは衝撃のみが伝わる模擬弾が使用される
そして当然ながら実弾と違いペイント弾等には相手を殺傷する威力はないし、李梨もそのことは重々に承知している
そしてだからこそ相手が人間あってもためらいもなく訓練とはいえ引き金を引くことができた
だが今度の場合は引き金を引き、そして一人の人間を殺してしまった。それが李梨の胸に大きな衝撃として残る
「それにアンタは後悔してるんだろ? たとえ敵とはいえ命を奪ったって行為に」
「…………………」
優の問いかけに李梨は応えられず黙する。だがその当の李梨本人にさえ後悔しているのかはわかっていない
「ならそれでいいんじゃないか? 俺なんか後悔する暇なんてないからな。」
スプリガンとしての使命―
それは“超古代文明の遺跡を悪しき目的に使用しようする者の手から護ること”
ただそれだけ。そのための人殺しはもはや必要悪であるとすら優は任務時にはそう考えるようにしている
もちろんそれは間違った考えであり手前勝手なものだと優自身も理解している。だがやらずに公開するよりはやって公開するほうがよほどマシだという信条に由来している
そしてそうでなければ任務は達成すらできないし、なによりやらなければ自分がやられてしまうのだ。それが彼、御神苗優が今いる世界なのである
「……優…」
「ん?」
「私ね、兄がいたの!」
「え?」
唐突な李梨の話に優は一瞬言葉に詰まり、返事に窮する
「聞いて!」
だが李梨はそんなことにはかまわずに真剣な表情のまま言い放つ
「あ、ああ…」
その表情に優は多少面食らいながらも近くに腰掛け李梨の話を聞く体勢をとる
「私が育ったのは四川省の小さな村…私はそこで日が暮れるまで兄と山の中で遊んでたわ」
李梨はそして天井を見つめる
幼き日々の記憶を重ね合わせるように思い返していた
「その時は楽しかったわ。そして幸せだった…その幸せが永遠に続けばいいと思っていた……」
そこまで言い終えた時の李梨の口元は当時を懐かしんでか、微笑しているように見える
だがすぐに沈痛なものへとそれは変わっていく
「でも現実はそうはいかなかった…私の村は貧しく、多くの人が仕事を求めて都会に出ていった。 私の家族も例外じゃなかったわ」
李梨は岩に腰掛けながら足を伸ばし、そのつま先に視点を合わせ微笑む
そして時折そのつま先を左右に振ったりして次に語るための言葉を選ぶ
「四川の田舎村から都会に出てきた私にはそこはまるで違う世界だったわ。そして父も母もそこで仕事を見つけて、一生懸命働いて私達兄妹(きょうだい)を学校にも行かせてくれたわ。 そこで兄と私は考古学に興味を持ったの…特に中国の古代文明にね」
―中国文明
中国第2の長河黄河流域で栄えたことから黄河文明とも呼ばれていた世界4大文明の一つ
その石灰分やアルカリ分を多量に含んだ岩石の微粒子から成るために空気や水分をよく通し農耕に適していた
そのために黄河流域の初期農耕の発達を可能にしていた
そしてその農耕文明を基盤として新石器時代の仰韶(ぎょうしょう、ヤンシャオ)文化から竜山(りゅうざん、ロンシヤン)文化を経た後に青銅器時代の殷・周へと移行していった
「優、夏っていう伝説の王朝があったのを知ってる?」
唐突に李梨は優に問いを出す
その問いに優は一瞬驚いた表情を見せるがすぐに好奇心に満ちた表情に変わった
「そりゃ知らないわけないだろ!歴史上殷の前にあったとされている伝説の王朝を!」
「ええ、そう。そして私と兄の夢はね ……その夏の存在をつきとめる事だったの」
「そんな夢なら俺も加わりたいね」
優にもその夢の価値はわかっていたのでそう付け加える
李梨もクスリと笑うとそのまま話を続ける
そして優はその李梨の表情には再び陰りが見えるのに気付く
「でもやがて母が過労で倒れて仕事を続けられなくなったの…当然私達も父の収入だけでは学校になんか行ってられなったわ。だから私も学校を辞めて働くつもりだった…残念だけど、もう夢なんて言ってられる場合じゃなかったから…」
李梨は無理して笑顔で作り、優に語る
伸ばしているつま先はすでに振れてはおらず、ただじっとしていた
「でもね、私がそうする前に兄さんが先に学校を辞めて軍隊に入隊したの。兄自身手っ取り早く職を見つけるにはそれが一番だと思ったみたいね」
「そして言ってくれたわ、『お前は俺の分も勉強しろ!学費や生活費のことは心配するな』って……」
「いい兄さんだったんだな」
「ええ、私にはもったいないくらい。それから私は兄さんの気持ちを無駄にしないためにも勉強して、そして大学にも入ることができた ……でもそれからなの」
急に李梨の顔が暗く沈む
優にもその表情の変化は見て取れた
「兄の死亡の報せが届いたのは…」
しばし流れる沈黙…だが優は静かに李梨が語り出すのを待つ。
やがて李梨は意を決したように続きを語り出した
「軍からの話だと、まだ内戦時代の名残なのか不発弾の爆発に巻きこまれたって………当然私達の元には遺体も残らなかったわ。 私達の元へはただ死亡通知を告げる手紙が届いただけ」
突然の兄の死亡通知。当時の李梨には一片の紙でそれをしらされ、そしてそれを受け入れなければならなかった
「私はしばらくその事実を受け入れることができなかったわ…そして泣くこともできなかった」
「ただ私にできたことは兄の分も勉強に専念すること、それだけだった。 いいえ、多分兄のことを忘れようとしてたのね………」
李梨の表情はとても哀しげで、目元には兄のことを思い出してかうっすら涙が浮かぶ
そして静かに天井を見上げ涙が流れるのを堪えている
「でもその甲斐もあって、こうしてアーカムの考古学研究所に入ることができたんだけどね…そして初めて超古代文明の存在も知らされたわ」
「ああ、俺だって初めてのときは驚いたさ…そして同時に喜びもしたぜ」
「喜び?」
「ああ、だってそうだろ!? まだ俺達が知らない歴史、そして文明があったなんて!! なんかこうワクワクしてこないか?」
優のその子供のような意見に李梨は指を口元に当ててクスッと笑う
優も自分が言った言葉に李梨の様子から恥じらいを感じたのか頬の辺りが紅潮する
「ええ、そうね。確かに優の言うとおり私も夏の存在に確信に近いものを感じたわ。だってそうでしょ?現在公表されてる考古学の世界ではそんなことはちっとも語られていないもの。だいいちそんなの映画や小説の世界じゃない。 でもだからこそ私の目的は夏の存在を証明したい ………今となっては仕事の片手間にやれるだけなんだけどね」
「ああ、それは俺も同じだから気持ちはよく分かるぜ」
そしてお互いに視線を合わせるとプッと吹き出す
そして優は李梨の表情に笑顔が戻ってきたことに気付いた
李梨自身今まで誰にも語ることがなかった胸のうちをこうして開放できたことに今は安らぎを感じている
「その兄さんのためにも夏の存在を見つけられるといいな」
「ええ、そうね」
「でもその時は俺にも知らせてくれよ!そんな大発見なら俺も直にこの目で見たいからな」
「そうね……でも今のあなたはそんな状況じゃないでしょうけどね」
李梨のその言葉にはアーカムと敵対する組織、つまり超古代文明の遺跡を悪しき目的に使用しようという輩の事を暗に述べていた
……そしてスプリガンとしての任務の事も
「ああ…そして連中ももうずいぶんと先に行っちまっただろうな」
「ええ、そうでしょうね…悪かったわね私のこんな話なんかにつき合わせちゃって」
2人はやっと思い出話から現実へと戻る
李梨も言いたいことを話したためかその表情はすっきりとしていた
優も李梨が元に戻ってくれたことに素直に喜んだ
「さって……そろそろ行こうぜ!まだ俺たちにはやらなきゃならないことがある……だろ?」
優はしゃがみこんでいる李梨に手を差し出す
「……ええ」
優のその言葉に素直に頷き李梨は差し出された手を取って立ち上がった
「ったく、私にもそんな優しい言葉の一つや二つかけてくれたっていいじゃない」
離れでは2人を見つめながら口をとんがらせて言う芳乃がそこにいた
その口調には疎外感からか、どこか不平のこもった口調である
そして3人は重い腰を立ち上げ遺跡内部へと足を進めて行った
to be continued
後書き
はいTraceEden第8話をお送りさせていただきました!
そしてなんと今回でこのお話は……連載一周年となるのです!
連載当初アイデアはあったことから夏には終わっているだろうと思っていたのですが、他作との関係、そしてなにより作者の執筆の遅さからここまで遅れに遅れてしまっています(笑)
このぶんだと終わるのは早くて夏!!遅けりゃ連載2年にも3年にもなってしまいそうな勢い…
と、とにかくがんばって行きたいと思います!
作成 2001年1月3日
改訂 2002年5月1日