-鬼宿-
Volume.03
-清水寺-
辺りには人っ子一人いない
昼間であれば多くの観光客で埋め尽くされる京都のこの観光スポットも深夜となると人気は嘘のように消えている
そこを一人の少女が歩いている
少女の名は摩奈瀬(マナセ)、名目上は国家機関JCIAの特殊工作員である
その任務は警察機構では解決できない、または捜査権のない事件に対しJCAIが調査し、その情報を元に事件の解決が主な任務であった
だが摩奈瀬の場合、さらに非合法的処置による解決を任務とする特殊な存在でもある
この時摩奈瀬の年齢はまだ16、7といった本来なら高校に通っているぐらいの年齢である
「ふ〜ん、これが清水寺……確か釘の一本も使わずに建造された建築物だったっけ?」
摩奈瀬は片手に持ったフランクフルトを噛み締め、清水の舞台を下から見上げながら呟き中学の修学旅行時にはみられなかった世界文化遺産にも指定されている建築物を見上げ、静かに感慨にふける
その摩奈瀬の姿は昼間であれば他の観光客となんら変わりはないのだが、今は深夜のために異様な光景だ
しかし摩奈瀬のその表情は時間が経つにつれて、深夜の観光客といった表情から段段と冷徹で鋭利なものへと変化して行く
特にその目は見る者には恐怖すら与えるであろう視線である
「……ここに …ヤツラの一人が……」
「……落ちついたかい?」
死体安置室から病室へと戻ってきた少女は、ベッドに腰掛け真剣な表情で沖村を見据える
沖村の返事いかんでは沖村にそのまま襲いかかりそうな、そんな気配すら見せている
「話して…… 話してくれるんでしょ?」
摩奈瀬はただそう告げて沖村の口が開かれるのを待つ
少女自身が願った“復讐”、その手段と舞台を提供する……死体安置室で変わり果てた妹の遺体と対面していた時、沖村は確かにそう言った
「ああ、その前に断っておくがこの鏡で君の顔を覗いてくれ」
「?」
沖村から手渡された手鏡で摩奈瀬は自分の顔を覗きこむ
「!!」
摩奈瀬の表情に緊張が走り、頬には汗が滴り落ちた
「なにこれ……私の顔が……」
鏡に映っていたのは本来あるべき姿を映してはいなかった
そこに映っているのは少女の知らないまったく別人の顔であった
「君の顔は事故当時裂傷が激しかった……だが外科整形によって治療と同時に顔を変えさせてもらった」
淡々と結果報告をする沖村
相変わらずその口調にはなんの感情もこもっていないように思われた
そして同時に断りもなく整形手術などを行なった沖村に非難の視線をぶつける
「君の許可なく行なったことは謝ろう。 だが、いいわけをさせてもらえればそのおかげで君は命を狙われる心配もなくなったのだ」
「命を?」
「そうだ……さっきも言ったが君が助かったのはまさに奇跡といっていい。なにしろ君の家は爆発、炎上してしまったのだからね。そしてもし君が生きていることを知れば、君の家族を殺した連中が再び君の命を狙ってやってくることになる」
沖村はそこまで言ってから一息つく
「君は父親の……鏑木(カブラギ)博士の研究内容を知っていたかね?」
「ええ……遺伝子組換えによる治療の模索だって」
「建前上はね。だが今回の事件、これは全て君の祖父の研究から起こったことなんだ」
「どういうこと?」
「鬼宿(キジュク)……という言葉を君は聞いたことがあるかい?」
「キジュク………?」
「鬼が宿ると書く……」
「いいえ、聞いたことありません」
「では最初から話そう……話は第二次世界大戦にまで遡る……」
1941年12月7日日本軍のハワイの真珠湾にある米軍基地への奇襲作戦から始まった太平洋戦争
その勝利は確かに日本を鼓舞させるものがあった
その勢いで日本はマライ、シンガポール、ジャワ・スマトラ、フィリピンと次々にその占領下に置いていった
だが、その勝利の余韻も1942年6月初旬のミッドウェー海戦の敗北から、日本は太平洋戦線において敗色の色を帯び始める
「……そしてその敗色の色を悟った当時の日本帝国軍はある計画を発動させたんだ。 ………ある一人の科学者が提案していたある計画に基づいてね」
「ある……計画…?」
「……その計画とは人間の遺伝子に干渉し、常人では考えられない兵士を造りあげる…… つまり異能力者による特殊部隊の創設だ。その部隊による敵司令部の破壊行動、または敵司令官の暗殺などを主な任務としてね。 そしてそれによって引き起こされた混乱に乗じて正規軍が攻め込む…… それが-鬼宿計画-、鏑木忠正博士、つまり君の祖父が提案した作戦だったのさ」
「祖父が!?」
「当時若干二十歳そこそこながら、君の祖父はすでに細菌兵器などの分野を筆頭に軍事技術、特に兵器を創り出すことにおいては他に類を見ない天才科学者だったのさ。だから軍部首脳もその天才の計画を認め、資金を提供していた。そしてその実験は当時占領下に置かれていた中国の上海で行なわれ、その結果その遺伝子干渉の手法、そして組み込む異能力を発動させるための遺伝子も開発された」
「………」
「そしてその遺伝子干渉のために開発されたのが計画の名前にもなっている“鬼宿”というわけだ。 この鬼宿を人間の体内に埋め込むことで遺伝子に干渉を起こし異能力を発動させる。 これが現代に比べれば設備も知識も数段劣る20世紀半ばに完成されていたのさ」
「………」
「だが、この実験には一つの欠陥があった」
「欠陥!?」
「それは鬼宿が開発されたにも関わらず、その鬼宿を受け入れられる遺伝子を持った人間がいなかった。実験体……捕虜を対象に行なった鬼宿を埋め込むという実験を行なった。だがその異能力を発揮させるための鬼宿は、普通の人間には極度の拒絶反応が起こったと当時の報告書には記されている」
「じゃ、じゃあその捕虜たちは…?」
「……皆死亡した。あるものは自分で全身をかきむしり、挙句には刃物で自分の身体を……」
摩奈瀬は沖村のその説明を聞き、それを想像した途端おもわずゾクッと震える
ホラー映画などでそのような描写を観たことはあるが、それはあくまでも想像の元に造られた架空の話
だが沖村の話の内容は信じられはしないが自分のこのような状況のもとでは真実味が増す
「時に君はその鬼宿を……どこに埋め込んだと思う?」
「えっ?」
話の途中で突如質問を投げかけられた摩奈瀬は一瞬困惑の表情を浮かべる。だがすぐさまその質問に対する応えを考える
「……頭…ですか?」
しばしの間考えた末に摩奈瀬は答えを出す
「正解だ、鬼宿を体内に埋め込む為に行なわれた手術は全てここ、脳に行なわれたのだ」
沖村は自分の頭を指し示しながら摩奈瀬に告げる
「君も学校の授業等で習ったかもしれないが、脳の構造は未だに不確定要素も多い。だが脳とは我々人間の機能を司る部位であることは確かであり、そこに異能力を発動させるための遺伝子干渉を行う鬼宿を埋め込んだわけだが ……結果は実験体達全ての発狂死という結末で終えた。自分の頭に刃物を突きたてたり、壁に頭を自ら打ち付けたりしてね」
摩奈瀬は再びその光景を想像しただけで背中に寒いものが走り、思わず自分で自分を抱きしめる
その様子を沖村も察する。だがその口の動きが止まることはない
「軍部の落胆は大きかったよ。なにしろ巨額の資金を投入して行なわれたこの研究、だが物はあってもそれを受け入れられる器がなかったのだからね。もちろん当の鏑木博士も落胆を禁じえなかったのさ」
「で、でも実験が失敗したのなら……」
「そう、君の疑問は確かにその通りだ。確かに鏑木博士の研究は入れるための器、つまり適正者を発見、または創造しなければならなかった。だが、軍部は時間がかかりすぎ、劣勢を挽回させる材料にはならないという理由で研究への資金提供をカットし、ここでその-鬼宿計画-は途絶された ………そしてその間に君も知っているとおり広島、続いて長崎に落とされた原爆によって日本は無条件降伏をしてやっと戦争は終わったのさ」
「…じゃあ ……じゃあなんでお父さん、お母さん、妹まで殺されなくちゃならないのよ!! 祖父の研究、戦争の話なんかもうたくさん!!私は、私の家族を死に追いやった連中の話を聞きたいのよ!!」
黙って聞いていた摩奈瀬だったが、今まで聞いていた話では自分の家族が何故殺されたのかの説明にはなっていない
祖父だけが殺されたのなら、実験体の家族などがその復讐として行なったと考えられるが、祖父は自分が生まれる前にすでに死亡していた
話では肺がんだと聞かされている
そのために鬱憤された怒りと哀しみが一気に放たれる
自分でもこの感情を抑える事はできず、その感情のままに言葉を吐き出す
だが言われた当の沖村は摩奈瀬のその反応をあらかじめ予想していたのか、黙って摩奈瀬の言葉を聞いている
「………ここから君の家族が殺害された話が始まるのさ」
「!?」
「前置きが長くなって済まなかったと思うが、これは君にとっても必要な話だと思ったのでね」
「……」
「では、これから君の家族が殺害されるに至った真実について語ろう」
摩奈瀬はゴクリと喉の奥に唾を飲みこみ、沖村の口から話されるだろう言葉を待つ
「今度は戦後から30年………1975年から始まった。君の祖父は軍事方面で活かした知識や技術を戦後の日本でも多いに発揮してくれていた。実際、遺伝子治療にかけて今の日本の基礎を築いた人物だった……といっていいからね。そしてその知識と技術は鏑木明信博士……つまり君の父親に継承されていたのさ」
「!?」
「彼、鏑木明信博士は独自に父親が造りあげた鬼宿に拒絶反応を示さない適性者を造り出す研究を密かにしていたのさ……我々日本政府の援助を元にね」
「え!?」
「別に驚くにはあたらないだろう? 確かに我が国は憲法第2条によって戦力の永久放棄を宣言している。だが自衛のための戦力を持つことは許容されている」
沖村は言葉の端々にまるで裏があるかのように思わせぶりな口調で聞かせる
そして摩奈瀬もその口調に知らず知らずに引きこまれ始めてるのが自分でもわかった
「非核三原則によって核を持てない我が国が、いつかあるであろう脅威に対して常にそういった準備は必要必要とされているのさ。 そしてどんな政府にも表と裏があり、君の父親はその裏の顔とも呼べる援助の元に第二次鬼宿計画の研究をしていたのだ ……表面上は遺伝子治療の研究と称してね」
「……嘘 ……そんなの嘘よ!!」
「事実だ…… そして多くの研究と実験の結果、彼は後に6人の鬼宿を受け入れられる適性者を造りあげたの。 正確に言えば、一人は拒絶反応以外の原因と思われる突然死によって死亡と報告書にはあるので5人だがね」
「……適性者…」
「そう、そしてその適性者が君の家族を殺害したのだ」
「?!」
「……どういう ……こと!?」
沖村から告げられた事実に摩奈瀬は戸惑いを隠せない
実験の結果によって造られた適性者、その名前も顔もわからない者が自分の愛していた家族をこの世から消し去った
「今から10年前、鬼宿を組みこんでの実験は順調に進んでいたある日のことだ。その日は第二次鬼宿計画に携わったスタッフ、政府関係者を招いての演習が行なわれた ……鬼宿を組みこまれた者達の力をその目で見定めるためにね」
「それで ……どうなったの?」
「演習結果の報告はなかった…我々にもたらされたのは演習場となっていた建物の爆破、炎上というものだった」
「えっ!?」
「そう、演習中に起こったとみられるなんらかのトラブルによって第二次鬼宿計画に携わった者達も死亡した。ただ鬼宿を組みこまれた者達と思われる死体は確認できていなかった。その適性者達のデータは極秘扱いだったために数ある死体の中からでは判断できなかったのが事実だった」
「………」
「そして全ての実験データも建物と一緒に消えてしまった。我々に残されたのはその日たまたま演習に顔を出していなかった君の父親の記憶だけだった。 だが …その日以来、君の父親は何故か口を閉ざし我々にその研究の内容を教えてはくれなかった。……今となってはその理由もわからないがね」
「でもその適性者たちは生きていたのね」
「そう、そして彼等は君の父親を殺害した後我々日本政府に犯行声明を叩きつけてきた。その中では『我々“鬼宿”を埋め込まれた者達は、創造者鏑木明信博士とそれを支持した日本政府を許さない』…と。そして自らを“鬼宿”(キジュク)と称して挑戦状を叩きつけてきたわけさ」
「…………」
「そのために政府もここにいたってやっとその重い腰をあげて鬼宿を極秘裏に処理しようと決め、我々JCIAにそれを委ねたのさ」
「………だから手段と舞台は整えるなんて言えたのね」
「そういうことだ。そして君は鬼宿……ああ、我々は連中のことをすでにこう呼んでいる」
「わかってるわ、言わなくても」
「……失礼。そして君のその復讐のための手助けを我々がやろうというまでさ。正直我々には戦力となる手駒は多いほどいい」
「……いいわ、私はなにをすればいいの?」
すでに決心しているが、自分に言い聞かせることも含めもう一度告げる
「あらゆる戦闘訓練などやることは山積みだ。だが、その前に…」
「……その前に?」
「まずはその身体を治すことから始めなければな」
沖村はそう述べ、口元に自然と笑みを浮かべた
ふと、摩奈瀬は過去のことを思い出していた
傷が癒えてからの半年間、摩奈瀬には毎日のように過酷な訓練が課せられた
まだ10代半ばの摩奈瀬にはその訓練はまさに地獄で、何度も訓練半ばでくじけそうになってきた
いや、それまでの摩奈瀬であれば確実に音を上げていただろう
そしてそれこそが摩奈瀬がもはや取り戻すことの出来なくなった安穏の日々なのである
摩奈瀬を動かしているのは鬼宿への復讐心、それのみであった
「………」
JCIAからの情報によればここ最近京都で自殺者の数が激増している
そしてその自殺した人に遺書はなく、警察では一時他殺の線でも捜査を続けていた
そしてそこへJCIAが介入し、調査の結果自殺者した人が最後に立ち寄ったと思われるのがここ清水寺の周辺なのである
そのため摩奈瀬は囮というわけではないが自らの足で清水寺を調査する
確かに深夜にも関わらずたまに数人の人たちとすれ違い、皆男女のカップルが多い
「ったく ……どうせ肝試しかなんかでもやってるんだろうな〜」
摩奈瀬はポツリとつぶやく。だがそのすぐ後で苦笑した
彼等も摩奈瀬とはそんな年恰好は離れておらず、あの事件がなければ摩奈瀬もこうして何事もない普通の生活を送っている
そう思うと笑いが自然とこみ上げてくる。だが別に今のこの状況を摩奈瀬は後悔もしていない
“鬼宿”を名乗る連中が摩奈瀬の家族を惨殺した。そのことでかけがえのないものは永遠に奪われてしまった摩奈瀬にもはや後戻りはできないし、例えできたとしても戻りたいという気持ちもなかった
以前とは違う顔がその証で、鏡で自分の顔を見るたびにその想いで何度も胸が締めつけられた
想いにふけっていたその時、摩奈瀬の目に光が飛び込んできた
思慮にふけっていた時の途端の出来事で摩奈瀬は思わず反射的に身構えてしまう
これらの動作は事件から半年間の訓練によって培われてきたものだ
「ちょっとアナタ!ここで一人で何してるの!?」
突然声をかけられたことに驚くも、慌ててかまえていた姿勢をとく
光の正体は懐中電灯で、相手は警備員、しかも女性であった
「アナタ、こんな時間に女の子が一人で何してるの?」
「あっ ……ご、ごめんなさい」
「まったく、近頃の子は面倒ばっかり起こすんだから。ただでさえここらへんは物騒だっていうのに……」
摩奈瀬が弱い素振りを見せると相手も思わず愚痴をこぼしてしまう
そして見るとその女警備員も緊張が解けたのか、安堵の表情が窺える
どうやらその警備員にはこれが初めてではなく、もはや日常の行ないと化してしまっているのだろう
摩奈瀬は一瞬ヤレヤレという表情を見せるがすぐにその表情が一変する
「本当に近頃の子はぁ………!!」
「!?」
そうブツブツと呟きながら目の前の女警備員の目線が見るからに尋常ではない
その視線は摩奈瀬を見てはおらず、どこか他所を見ているようだ
「あなた、どうし…」
さすがにその様子に違和感を覚えた摩奈瀬がそう声をかけようとした時、それまで虚ろであった女警備員の目が摩奈瀬を突如捉える
その目は先ほど不審人物を発見したとかそういう目ではなく、獲物を捕捉した野獣のような目つきだった
「本当に近頃の子はぁーーー!!」
そして、なんと女警備員が所持している警棒を高々と振り上げて、そのまま摩奈瀬の頭目掛けて振り下ろした
(つづく)
作成 2001年9月26日
改訂 2002年5月10日