-鬼宿 弐-
第一幕
カッカッと小気味良い音がその空間に木霊(こだま)し、その場にいる全員は一点に注目する
その音を発生している人物とは一人の少女であり、皆には背を向けたままその作業を続けている
やがてその音も止まりクルリと後ろを振り返る、その場にいる一同を見渡し笑顔で口を開く
「本日転校してまいりました北宮(キタミヤ)です。よろしくおねがいします」
少女はそう告げるとペコリと頭を下げ、その場にいる一同は歓迎の拍手で彼女を迎えた
そう、ここは高校の教室であり、彼女は自分の名前を黙々と黒板に書いていたのである
クラスの男子は転校生が女子(しかもかわいい)ということに浮かれ、女子は新たに加わる仲間を歓迎し、中には彼女の容姿に同性ながらポーッと頬を赤らめる生徒までいた
だがその当の本人は下げた頭で皆には隠れて見えないが、表情はヤレヤレという顔をしている
さきほど皆に見せた笑顔は作ったもので、こちらが本音。その証拠に頭を戻した時彼女の表情は再び笑顔であった
「(ったく、なんでこんなことに……)」
彼女はそう思いながらも「これも仕事のうち」だと割りきって考えようとした
だが表情の方ではそうはいかなかったのか、口端がわずかだがヒクヒクと引きつっている
頭では理解できても心の方ではこれからずべきことを思うと彼女には不安でそれがわずかではあるが顔に表れてしまったのである
だが注意深く観察しなければ常人には分かりえるはずもなく、その場にいる生徒達は皆彼女と背後の黒板にその視線は注がれていた
彼女の背後の黒板には彼女のフルネームが書かれている
北宮……摩奈瀬と
「シュッ!!」
小気味よく放たれたオレンジのボールはキレイな放物線を描き、ゴールインを妨げるはずのリングに触れることなくネットを揺らす
ここは施設内に設けられたバスケットコートで、そこで摩奈瀬は一人フリースローの練習をしている
バスケットコートと言っても正式の試合ができるような広々としたものではなく、ゴールも一つしか設置されていない
だがゴールがいくつあろうが摩奈瀬にはボールとゴールが一つづつあればそれで十分であった
ゴールネットを揺らしたボールを拾い、再びスローラインに足をそろえボールを2、3回弾ませて間合いを取る
そしてクッと膝を軽く曲げ教科書通りのフォームによって右手から繰り出されたボールは先ほど同様美しいまでの放物線を描いてパシュッという音と共にネットを揺らす
そして再びボールを拾いフリースローの姿勢に入ったその時、摩奈瀬は背後に自分を見つめる視線を感じた
だが構わずに再びボールを放る
「あっ……」
投げた瞬間摩奈瀬は「しまった」と思った。ボールは先ほど同様美しい弧を描いている。だが今回は先ほどのようにはいかずリングに弾かれてボールはネットには吸いこまれなかった
摩奈瀬は己の失投に不快を感じる。だがその不快を加速させるかのように背後から拍手の音が響いてきた
「最後は残念だったが、それまでは見事だったね摩奈瀬クン…」
摩奈瀬はコートの隅に置いていたタオルを拾うと、それで汗を拭いながら拍手の人物のほうを見ようとはしない
だが声の主は構わずに言葉を続ける
「さすがは中学3年の時は県の優秀選手に選ばれただけはあるね。まだ腕のほうは鈍っていないようだ」
「………単なるフリースローの練習ですから」
摩奈瀬はやっと口を開いて素っ気無くそれだけを応える
「それより、なんの用ですか……沖村さん?」
摩奈瀬はやっと声の主の方を振り向く。そこには摩奈瀬の直属にして唯一の上司である沖村が立っていた
摩奈瀬は沖村にはここ2週間は会っておらず、自身任務もないので正直暇を持て余していた
摩奈瀬の任務とは"鬼宿"と名乗る者達を闇に返すこと。摩奈瀬の祖父と父が生み出してしまった者達
摩奈瀬の家族は復讐としてその鬼宿を名乗るものに殺された。摩奈瀬の目的とは祖父と父が生み出したそれを無に帰し、家族の仇を討つこと、ただそれだけであった
その力を得るべく政府機関であるJCIAにて訓練を受け、摩奈瀬は短期間で"クリムゾン"というコードネームを持つまでに至っている
そして先日、摩奈瀬は京都で最初の鬼宿を苦戦の末に倒したのであった
「沖村さんがここに来たという事は、ヤツラに関して何かがわかったってことですか?」
「察しがいいね。先日君が倒した鬼宿01(ゼロワン)についてだが……―」
「01?」
「おっと、まだ君には言ってなかった。君が倒したあの……少女だが」
「杏のことですか?」
「ああ。我々は敢えてコードネームで呼んでいる。その杏と名乗った鬼宿は01というコードネームにされた」
「……」
「その01の解剖による調査結果が出た。君の話によると01は催眠と変身能力があったと聞いている」
「ええ、まずは洗脳ですが。どうやっているのかはわかりませんが不確定多数の人間を意のままに操るだけでなく、痛覚を麻痺させ潜在能力を引き出していました」
「それに関する我々JCIA科学班が現在も調査中だ。だが考えられる要因、それは01の血液によるものだ」
「血液……血ですか?」
摩奈瀬の問いかけに沖村は首を縦に振る
「01の血を今回の事件で行方不明になった人物たちに投与し洗脳する。それによって潜在能力をも引き出して操っていたのだろうと見ている」
「他の鬼宿達にもそのような能力が?」
「それはわからない。なにしろ10年前の実験中の事故でデータのほとんどを消失しているのだからね。わかっているのは鬼宿計画に関することぐらいで、鬼宿に関しては全くといっていいほどわかっていない。こうして君のおかげで01の遺体を回収することに成功して我々は10年ぶりに接触できたのだからね」
「………」
摩奈瀬は沖村にそう言われても嬉しくはなかった
摩奈瀬の脳裏には正直まだ杏(01)の最後の光景が焼きついている
杏は明らかに鬼宿などという力を与えられたことで狂ってしまった人間だ
いわば自分の祖父と父、そしてこの日本という国の被害者なのだ。摩奈瀬は杏が最後に流した涙でそれを知った
それまでは自分の復讐心で動いていたが、敵を知ってしまった。敵もまた自分と同じように苦しんだのだとも痛感した
摩奈瀬は正直迷いの中にいた……果たして後4人を自分の手で殺せるのかと……
沖村はそんな摩奈瀬の心情は知らずに話を進める
「……さて、摩奈瀬」
「あ、はい……」
「次の任務に入るまではまだ時間がかかるだろう。そこでだ……」
沖村は脇に抱えていたA4サイズの封筒を出す
摩奈瀬はなんだろうと思いながらもその封筒を受取る
「えっと……私立……○○高校入学案内書……?」
摩奈瀬はその封筒に書かれているものを読み上げると、目をパチクリとさせながら沖村を見据える
沖村はちょっと照れたのかそっぽを向いて頬を掻く
「あ〜その……なんだ。次の任務まではまだ時間がある。訓練以外の時間は君もすることがないだろう。そんな時に君の年齢の女性が街を歩いているのも不自然だ。よって、その高校に通い、高校生という表の顔を持つことが君の任務だ」
ちょっと無理があると沖村は言いながら思う。そのためかよーく見ると沖村の頬はちょっと紅くなっている
この辺りが若くして出世し、JCIAの切れ者と言われる沖村ではあると同時に若い証拠でもあった
摩奈瀬にもそれが任務ではなく摩奈瀬のためを思ってくれての行動であり沖村の優しさであると気付いている
だが正直になれない沖村の言い回しと行動にはおかしさがこみ上げたのか、笑いを堪えるので精一杯だった
そしてこの時摩奈瀬は……家族が死去してから初めて心からおかしいと感じられた時であることに気付かなかった
「それでは摩奈瀬の席は〜〜〜……」
担任の教師が摩奈瀬の自己紹介も終わり、HR(ホームルーム)を始めるに当たって摩奈瀬の席を割り当てねばならなかった
そのためぐるりと教室中を見渡し空いている席を探す
「センセェーイ! ここ、私の後ろの席空いてるよぉー」
席を探している教師に、窓際の後ろのほうに座っている女性徒から声がかかる
「おお、そうか。じゃあ北宮さん、君はあそこの席に座りなさい」
「あ、はい」
摩奈瀬はそう返事するとスタスタとその席へ向って歩き出す
途中何人か「よろしく」と声をかけてくる生徒や、なかには好奇の視線を投げ掛けてくる男子生徒などもいた
「えっと……」
その後ろの席まで来た時、左右両方ともの席が空いていたので摩奈瀬は一瞬躊躇した
だが窓際に座っている髪の毛を少し赤く染めている女性徒が笑いながら
「アハハ、そこは実朝(サネトモ)っていってしょっちゅう遅刻や欠席してるヤツの席なの。だからアンタの席は……ここ」
その女性徒は自分の後ろの席を叩きながら親切に教えてくれる
「あ、はい。どうもありがとう………その……」
「ああ、私の名前は鈴沢(スズサワ)あかり。あかりでいいよ。よろしく、北宮摩奈瀬さん」
あかりと名乗った少女は見た目はちょっととっつきにくい感じがするが、案外根はいい人そうだと摩奈瀬は感じた
摩奈瀬はふと隣の空いている席が何故か気にはなったがHRが始まっているため、静かに担任の教師の方を眺める
別段話自体は今日の伝達事項や今日の天気がどうだとかの内容なので耳には入っても頭ではそれを認識していない
まわりの生徒も毎度のことなのか、担任の話を妨げるような行動はしないが別のことを考えているように見える
目の前のあかりという生徒も自分の枝毛を調べるほうに夢中になっている
そしてHRの終わりと1時間目の授業開始を報せるチャイムが教室に響いた
「ねぇねぇ、摩奈瀬さん!摩奈瀬さんってどこに住んでるの?」
「摩奈瀬さんってどこの学校から来たの?」
「付き合ってる人とかいるの?」
「入るクラブとかもう決めてる?」
摩奈瀬は1時間目から3時間目までの休み時間の度に毎度同じようなことを聞かれて正直参っていた
JCAIに所属していた短期間で、こういった教室での雰囲気になかなか馴染めないのだ
悪くいってしまえば平和ボケしたこの雰囲気である。この雰囲気が訓練に訓練の毎日であった訓練所での生活とあまりに格差がありすぎるのである
摩奈瀬は沖村の好意には感謝していたが、薄々こうなるのではないかという予感が的中してしまったため転入初日から参っていた
「ハハハ、その様子だと色々聞かれてまいってるみたいね」
休み時間終了のチャイムが鳴り、クラスの生徒は各々の席に戻る
だがまだ4時間目の授業の教師が来るまでには時間がある。その間にあかりは机に突っ伏している摩奈瀬に話しかけてきた
「は……ははは…」
摩奈瀬はただ愛想笑いで返すしかなかった。正直あかりの言葉のとおりだったのでなにも言う言葉がなかった
あかりも摩奈瀬のその様子を見てクスリと笑みをこぼす
「まぁ、それも転校生のお決まりのパターン。すぐにこの騒ぎもおさまるわよ」
あかりは摩奈瀬にそう言い掛ける。だが摩奈瀬の心情としては“すぐに”ではなく“今すぐに”おさまって欲しい心境だった
摩奈瀬は突っ伏したまま教室の中をグリルと見渡す
そして最後にその視線は未だ空席のままの隣の席に行きついた
「ねぇ、あかりさん……」
「さんなんて付けないであかりでいいよ」
「じゃ、じゃああかり……隣の席……実朝っていったっけ?」
「ああ、そうさ」
「どんな人なの?」
「どんな人って……う〜ん、アンタと同じで転校生よ」
「転校生?」
「そっ……でもねそいつ。ハッキリ言って変なヤツよ」
「へんなヤツ?」
「そっ。 まぁ会えばわかるよ」
摩奈瀬はもう少しその実朝について尋ねようと突っ伏した身体を起こしあかりに尋ねようとする
だがちょうど4時間目の教師が入室してきたのでとりあえず後で聞こうと摩奈瀬は黒板の方に視線を移した
4時間目の授業もすでに30分が経過し、残るはあと10分というところだった
黒板の前に立っている教師も淡々と黒板と生徒の方に交互に身体を向けながら授業を進める
生徒たちも黒板に書かれていることをノートに書き写している
摩奈瀬も黒板に書かれたいる全てではなく要点だけを抑えてノートに書き記す
このような要点だけの抜粋はJCAIでの訓練時代にすでに経験していることで、それに比べれば高校での授業などどうということはない
摩奈瀬はふと視線を外に移すと、外は青々と晴れ渡り気持ちのいい日差しが照らしている
教室内には教師が黒板に書き記す音だけが淡々と鳴り響いている。だ摩奈瀬の耳にその黒板の音とは違う音が聞こえてきた
その音は遠くから聞こえ、なんだろうと思っていると段々と大きくなって。いや音が近付いてきて摩奈瀬はすでに駆け足による足音だと気付いていた
そしてその音が教室の前で止まり、暫くして扉がガラリッと開かれる
「はぁ…はぁ………ま…毎度お、おそくなってすんまへん先生」
遅れてきた男子生徒はそう言い放つと教師の言葉を待つでもなくそのままスタスタと自分の席へと向う
そして空いている摩奈瀬の隣の席にそのまま腰を落ちつかせてしまった
しかしこのような事態に教師も教室の誰もがこの男子生徒に注意の声をかけようともしない
それどころか教師のほうはこの男子生徒を一瞥しただけで何事もなかったかのように授業を再開する
おそらく今日が初めてではなく、日常茶飯事の出来事なのだろう
転校生だと聞いたが、転校して来てから始終こんな感じなのだろうかと摩奈瀬は疑問に思う
同時に摩奈瀬はこの人物が実朝であると理解した
そして4時間目の授業終了のチャイムが鳴り響いた
「実朝〜。あんたまた遅刻? あんた転校してからこっち、遅刻ばっかじゃん。しらないよ〜」
昼休み、あかりが実朝に語り掛ける
「ああ、わかってんやけどな〜。どうにもこの遅刻癖だけはなおらへんわ」
実朝は笑いながら応える。その様子からはあかりの忠告にも遅刻への焦りや反省というものはないのだと感じられる
摩奈瀬がそう思って実朝を見つめていると、実朝のほうも摩奈瀬と目が合う
「んで……こっちのべっぴんさんは誰や?」
「今日転入してきた北宮さん」
「ほぉ〜、転入生………」
摩奈瀬はそう言いながら自分を好奇の目で見つめる実朝になにかしらの違和感を感じる
たしかに視線そのものは好奇の目線なのだが、その奥にもなにかが秘められているような気がしてならなかった
だが摩奈瀬は戦闘には突出していても、対人面におけるそういうところにはまだ未熟だった
そのためそれがなんなのかはわからず、ただ感じるだけだった
「北宮摩奈瀬です……よろしく」
「おう、俺は実朝峻(タカシ)や!同じ転校生同士や。こちらこそよろしくな、摩奈瀬はん」
ニッコリ笑顔で言い放つと実朝は席を立ち上がる
そしてゆっくりとだが摩奈瀬に近寄ってきた
なんだろうと摩奈瀬が思っていると、実朝は摩奈瀬の耳元に顔を寄せボソリとつぶやく
その言葉に摩奈瀬は驚愕のため目を見開かされた
それは今日の学校という舞台での安穏とした雰囲気を一掃するに足る一言である
実朝は摩奈瀬にこう言い放った
「ちょっと屋上まで顔貸してんか……コードネーム、クリムゾンはん」
(つづく)