-鬼宿 弐-
第二幕
昼休み―
それは学生達にとっては休息の一時であり昼食を取ったり級友とおしゃべりしたり読書したりと各々が自由に過ごせる時間帯である
つまりは楽しい午後の授業に備えるためにリラックスする時間でもある
だがその一画はとてもリラックスできるような雰囲気ではなかった
その雰囲気を出す一画は屋上にあった
一組の男女が対峙し、男子生徒の方は飄々とした表情で、女生徒の方は険しい顔つきで男子生徒を睨んでいる
浮ついた色恋話のような雰囲気で無いのは一目瞭然であった
元々屋上は入口に一般生徒が入れないように鍵がかけられ、「立入禁止」の札も掲げられている
だがその2人は楽々と屋上への侵入を果たしこうして対峙していた
女生徒の名前は北宮摩奈瀬。日本の特殊工作機関JCIAのコードネームクリムゾンを与えられた極秘特殊工作員でその存在を知るものはごく僅かに限られている
この高校へは摩奈瀬が普通の女子高生として疑惑の目を向けられないための仮の姿でもあり、今日転校してきたばかりであった
そしてその摩奈瀬が睨む眼前の男は摩奈瀬同様この学校への転校生である。名前を実朝 峻といい、摩奈瀬より2週間近く早く転校して来ている
一見はどこにでもいそうな普通の高校生という風体に見えるが、摩奈瀬の目からみるとその立ち居振る舞いにはスキがあるようでなかった
つまりこの男も何かしらの訓練を受けたものだと摩奈瀬には想像できる
更には本来極秘であるはずの自分のコードネームをこの男は知っていた
摩奈瀬のコードネームは上司である沖村を除けば極一部の人間しか知り得ないはず、それをこの男は知っている。それだけでもう普通の高校生でないことは瞭然だ
「そう怖い顔で睨まんといてや! こわーて気絶しそうや」
実朝と名乗った男子生徒は相変わらず飄々とした立ち居振る舞いで軽口をたたく
だが摩奈瀬はその言葉には耳を貸さずにただ眼前の男を睨み付ける
そして男の動き一つ一つに視線を送り仕掛けるタイミングをはかる
「………やれやれ、そんなに怖い顔しとるとせっかくの美人が台無しやで」
男は相変わらずの軽口で摩奈瀬に語りかける
摩奈瀬もなかなか隙を見せない男に対して隙を作らせるべく口を開く
「……あいにくとあなたとお喋りをする気にはなれないの……さっさと用件を言ってもらおうかしら。 そしてどうして私のコードネームまで知っているのかを」
「う〜ん、せっかくこうして誰もいない屋上で二人きりになれたんや。 もっとこう〜、気の利いた話もできんのかいな?」
「言ったはずよ …あなたとお喋りをする気にはなれないと」
男の軽口に対し、摩奈瀬ははっきりと拒絶の意志を表す
男は摩奈瀬のその口調にやれやれという表情になり所在なげに後頭部を掻く
「じゃあなんの話をお宅とすればいいねん」
「別に面白おかしく話をする必要はないわ。あなたはただ私の質問に答えればいいだけ」
「質問………?」
「………どうしてあなたが私のコードネームを知っているのかってことよ」
「ああ、そのことかいな。今朝職員室で聞いたんや」
男は摩奈瀬の質問に対してまともにとりあわずあくまで摩奈瀬をからかうような言い放つ
一方の摩奈瀬は相変わらず得体の知れないこの男に苛立ちを隠せずにいた
隙をうかがうつもりが自分のほうが今にも隙を作ってしまいそうな雰囲気である
「……そないなことよりあんさんが本当に知りたいことは別やろ?」
「?」
「そう………たとえば鬼宿のことなんか…」
「!!」
男の口から思いがけない言葉が出た瞬間、摩奈瀬の身体は緊張のためにかたまってしまった
だがそれは瞬きほどのほんの一瞬の出来事であり、常人になら取るに足らない間である
だが男にとっては好機となり摩奈瀬にとっては不覚となる間である
摩奈瀬が身体を強張らせた一瞬の間に男はそこに持っていたのか、隠し持っていたナイフを摩奈瀬の喉元に押し当てる
不覚にも摩奈瀬はその動きにまったく無防備で、まるで素人のようになにもすることができなかった
「……油断、大敵ってやっちゃな」
男は不適に笑みを浮かべ、喉元に押し当てたナイフに力をこめる
摩奈瀬の首筋から紅い血が一滴の道を作って流れ落ちる
「さて、殺す前に聞きたいが……あんたらの他に何人が俺らを殺すために動いておるんや?」
「……そんなこと話せると思う? 殺すならさっさと殺せば」
「ただ殺したかておもろないやろ? 楽しみがのうなってまうわ」
摩奈瀬は男のその一言に激しいまでの怒りを覚えた
まるで自分の家族を殺したのもゲームのように楽しんで殺されたかのように感じたからである
そしてその怒りが摩奈瀬の次の行動へと瞬時に移らせた
摩奈瀬はその場にすばやくしゃがみこみ次の攻撃態勢に移る
男は突然自分の視界から摩奈瀬が消えたことに驚愕し、このとき初めて隙を作ってしまった
「なっ?」
男が摩奈瀬をその視界に捕らえた時、摩奈瀬は男の足を払いすばやく蹴り上げる
「...............がふっ」
背中を強打され男は一瞬呼吸困難に陥るも、着地と同時に持っていたナイフを摩奈瀬へと投げる
だが摩奈瀬はそれを楽々とかわし男の側頭部に向けて蹴りを放つ
摩奈瀬の蹴りのタイミングは完璧で、摩奈瀬自身も捉えたと思ったが男はそれを右腕でガードしていた
投げられたナイフを摩奈瀬がかわした一瞬の間に男はすでに摩奈瀬の攻撃を受け止める体勢を整えていたのである
そして男はすばやくその右腕で摩奈瀬の蹴りを放った足を掴むと残った左腕でその足を折りにかかる
だがその行動を読んでいた摩奈瀬は自分の身体を回転させ、その反動を使って見事に掴まれていた手を振りほどく
男はその摩奈瀬の行動に驚嘆するでもなくただニヤリと笑みをこぼす
その笑みが摩奈瀬の感に障ったが、それで怒りにとらわれて再び隙を作るような愚行は犯すまいと冷静さを保つよう努める
だが摩奈瀬がそう考えた瞬間、目の前の男は突如構えを解き始めた
摩奈瀬はそれも何かの罠かと警戒するが、そうする理由がわからなかった
だがこれは好機でもあり、それを逃す手はないと摩奈瀬はすばやく行動に移す
これに対して今度は男のほうが面食らったような顔になる
「わわっ ……ちょ、ちょっとタンマや」
だがその言葉は摩奈瀬の耳には届かなかった。いや仮に届いていたとしても摩奈瀬は聞きはしなかっただろう
男が摩奈瀬を制しようと眼前に突き出している手に摩奈瀬はすばやく蹴りを放つ
当然男はその蹴りを防ぐべく受け止めるが、摩奈瀬の真の狙いはその蹴りではなかった
摩奈瀬は男が蹴りを受け止めた瞬間、まるで足が生き物のように男の腕に絡みつく。そして摩奈瀬は腕に足を絡めたまま飛び上がり空中で身体を捻り男のバランスを崩す
二人が地面に倒れこむと同時に摩奈瀬はこれまたいつのまにか抜き放っていたのか、愛用のブレードを男の首筋に押し当てる
「うわわわっ ちょ…ちょい待ち―」
「………死ね」
摩奈瀬は男の言葉には耳を貸さず、そのままナイフに力を込めようとした瞬間ビクッと身体が震えだした
何事かと胸元に目を向けるとそこには沖村から渡された緊急連絡用の携帯電話がバイブレーションモードで着信を告げている
摩奈瀬はこのはかったような瞬間にかかってきた電話を疑問に感じながらも男の首元に押し当てたナイフに力をこめるべきか迷った
「………はようその電話に出てくれへんか。 さやないと俺もなんの説明もできんわ」
「………説明?」
「その電話……沖村はんからやろ?」
「?」
摩奈瀬は目の前の男がなぜ沖村の名前を知っているのか、そして何故電話の相手が沖村であるとわかったのかと驚愕する
男のほうも摩奈瀬のその疑問に気付いたのか、
「……電話に出ればその疑問も解消されるで」
「………」
摩奈瀬は男への警戒は解かずにゆっくりと携帯を耳に当てる
「………もしもし?」
「………すまなかった」
「はっ………?」
電話の相手は確かに沖村の声であった。だが沖村の第一声は謝罪の言葉から始まったのである
「摩奈瀬クン。その男子生徒は君の敵でも、ましてや鬼宿でもない」
「?」
「彼(実朝)も我々JCIAのスタッフだ……」
「!?」
摩奈瀬は再び驚きの表情で男を見る
その表情から男はやっと摩奈瀬に説明ができると踏んで、ニッと笑みを浮かべる
摩奈瀬の方も携帯は耳から離さずに喉元に押し当てていたナイフを離して立ち上がる
男はヤレヤレと立ち上がるとパンパンと服についた埃を払い制服を整える
摩奈瀬の方は未だ信じられないという表情で男のほうを見ながら沖村の話に耳を傾ける
その視線に気付いた男の方は摩奈瀬に向かってニカッと笑顔を向け、
「改めて自己紹介させてもらうわ。 俺の名前は実朝峻、趣味は寝ることとあんさんみたいな可愛い女子(おなご)を口説くことや」
「………」
まだ突然のことなので摩奈瀬は困惑しているものの、全てに合点がいくと「ふぅ〜」とため息を一つもらすとすぐに冷静さを取り戻す
「………一つ聞いてもいい…?」
「なんでも聞いてくれや」
「その喋り方……どうにかできないの?」
実朝のしゃべり口調には大阪弁や京都弁、さらには標準語(東京弁)までが入り混じった奇妙な喋り口調である
基本となるのは標準語のようだが、所々で関西圏の言葉が混じり、それが実朝のキャラから発せられると摩奈瀬にはどことなく不快なものを感じさせられる
そのためにその質問の口調もどことなくきついものになっている
だが当の本人はそんなことには気付かないのか、それともすでに慣れっこなのかあっけらかんとした表情である
「ああ、これはな……仕事柄向こう(関西)方面に出かけるのがなにかと多くてな。まぁ向こうの人間に馴染むためっちゅうかそんなわけなんや。気に障ったら勘弁してくれへんか」
実朝は嬉々として言い放つ
摩奈瀬は再び嘆息し、電話を耳に当て沖村との会話に戻る
「で、沖村さん。 この彼は何者なんですか?」
摩奈瀬は多少の不機嫌さを沖村にぶつけながら言い放つ
ぶつけられた沖村のほうも多少困惑はしているのだろうと電話越しにも感じられる
「いや、彼はその年齢に似合わずなかなか優秀でね」
「……優秀?」
沖村の言葉を信じられないといった表情で摩奈瀬は実朝を凝視する
「で、君を彼に会わせたわけなんだが……彼は君のサポート役ということでつけたんだ」
「サポート………!?」
「詳しい説明は彼の口から直接聞くといい」
「……了解―」
沖村の言葉に摩奈瀬は何気なく返事する。だがその返事の後ですぐに「?」という表情に至りしばらく放心状態になったかのような錯覚を摩奈瀬は覚える
そして瞬時に沖村の言葉を理解するとすぐに大声を放った
その声には不満・不信・嫌悪、といった他にも数点の負の感情が混ざったものであった
(つづく)